中津町(現・中津川市)と付知町(現・中津川市付知町)を結び、北恵那鉄道が開通したのは1924年8月5日のこと。初代社長には、電力王として知られ、木曽川の電源開発に尽力した福澤桃介が就任しています。1978年9月18日に中津町駅〜下付知駅が全線廃止になっていますが、現在も見事な橋梁が残されています。
「奇跡の鉄橋」とも称される橋梁


大正時代の「五大電力」のひとつ、大同電力(初代社長は福澤桃介)が木曽川をせき止めて大井ダム(日本初の水力発電用高築堤ダム)を建設するにあたり、付知川を使った筏流し(いかだながし)で木材を輸送することができなくなるため、見返りに敷設された鉄道が北恵那鉄道です。
大井ダムの建設で誕生したダム湖が恵那峡で、名古屋からの行楽地としての地位を築いています。
起点となる下付知駅では付知森林鉄道が接続、さらに終点の中津町駅〜中央本線・中津川駅間には貨物連絡線が敷かれ、付知で産した良質の木材を鉄道輸送できるようになっていました。
そのため、当初から木材輸送などが中心でしたが、延長22.1km、13駅を50分ほどで結ぶローカル私鉄として敷設当初から電車を走らせていました。
「見た目は都市部の市電のような姿ですが、後ろに貨車を引いていた」(『北恵那交通株式会社 設立100周年記念誌』)感じだったようです。
1963年には名鉄が資本参加していますが、1978年9月18日に全線廃止に。
旅客車両は電車でした。
現在は北恵那交通(名鉄グループ)としてバス事業を展開しています。
中津町駅〜恵那峡口駅の間に木曽川橋梁(橋長134m、水面からの高さ15m)が、また山城・苗木城の山麓の恵那峡口駅〜山之田川駅間に石積みの橋脚が印象的な上地橋梁が現存しています。
ともに100年以上前に築かれたとは思えないくらいの雰囲気で、廃線跡を探訪する人たちからは「奇跡の鉄橋」とも称されています。
中津町駅〜恵那峡口駅は、廃線跡は夏場は草に覆われて歩ける状況ではなく、駅跡も定かでありませんが、恵那峡口駅〜山之田川駅間の廃線跡は一部は車道に転用されています。

電力王・福沢桃介の鉄道経営
電力王・福沢桃介はアメリカ留学時代にペンシルバニア鉄道会社での研修を受け、帰国後、北海道炭鉱鉄道でサラリーマン生活を送っています。
明治末の1911年に制定された電気事業法には、「一般の需用に応じ電気を供給する事業」とともに「一般運送の用に供する鉄道または軌道の動力に電気を使用する」が含まれていたため、発電所を建設し、その電力で鉄道輸送を行なうという電気鉄道事業はごく自然な流れだったのです。


電力王・福澤桃介が敷設した「北恵那鉄道」、廃線跡には見事な橋梁が! | |
所在地 | 岐阜県中津川市瀬戸 |
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