神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の東端部の海岸が、乙舳海岸(おつともかいがん)。海の公園のビーチは乙舳海岸を拡張した人工の海浜で、野島公園の乙舳海岸は、横浜市内の貴重な自然海岸です。定められた規則の範囲内で潮干狩りを楽しむことが可能。
風光明媚な乙舳海岸の自然海岸部分が、野島公園に残存
野島はかつて独立した孤島だったのが、乙舳海岸の砂州が伸び出して、州崎村と陸続きになったもの。
野島公園に隣接する海の公園のビーチは、昭和54年9月にもともとあった乙舳海岸を埋め立てて誕生した人工のビーチ。
以前よりも幅も拡大された砂浜が現在の海の公園で(金沢シーサイドラインが通るあたりがかつての海岸線)、汀線は1000mにも及びます。
千葉県の浅間山(せんげんやま)から採取した山砂を5年間海底に沈め、その後、ポンプ式浚渫船で吸い上げて浜を造成という手間ひまかけて生まれた人工海浜で、完成時には干潮時に200m、満潮時にも60mという砂浜を確保していました。
海の公園側は埋め立てられた人工の砂浜ですが、砂州で繋がった野島の先端部分(砂州の先端部)には、乙舳海岸の自然海岸が残されています(護岸工事が行なわれ、純粋な自然海岸はごく一部です)。
もともとの乙舳海岸は、金沢八景のひとつで歌川広重の金沢八景『乙艫帰帆』(おっとものきはん)にも描かれる風光明媚な浜。
野島から埋め立て前の海の公園方面へと続いた海岸線で、大正から昭和の初めには東京湾内でも屈指の海水浴場としても利用され、海の家が建ち並んでいました。
『新編武蔵風土記稿』には、町屋村乙鞆と表記され、鞆の浦(広島県福山市)同様に鞆のように弧を描いた海岸線だったのが名の由来です。
昭和14年に乙艫町(艫=船の後尾)になり、昭和50年から乙舳町(舳=船のへさき)という具合に変遷しています。
乙舳海岸の背後、野島山の麓には野島掩体壕(のじまえんたいごう)が口を開けていますが、横浜市内に残る貴重な戦争遺跡のひとつです。
野島公園・乙舳海岸 | |
名称 | 野島公園・乙舳海岸/のじまこうえん・おつともかいがん |
所在地 | 神奈川県横浜市金沢区野島町・乙舳町 |
関連HP | 横浜市公式ホームページ |
電車・バスで | シーサイドライン野島公園駅から徒歩10分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km |
駐車場 | 第1駐車場(104台/有料)・第2駐車場(52台/有料)・室ノ木地区臨時駐車場(150台/有料) |
問い合わせ | 野島公園 TEL:045-781-8146 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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