神峯寺(四国八十八ヶ所霊場第27番札所)

高知県安芸郡安田町の神峯寺(こうのみねじ)の寺伝によれば、神功皇后が三韓遠征の戦勝を祈願し天照大神などを祀ったが創始といい、その後、行基が十一面観音菩薩を刻んで本尊としたのが始まりという古刹。809年(大同4)、聖武天皇の勅命で空海が伽藍を整えました。四国八十八ヶ所霊場第27番札所で、本尊は十一面観音。

かつては四国霊場屈指の難所だった神の峯

江戸時代まで、神仏混淆の霊域として栄えましたが、明治初めの神仏分離令で本尊の十一面観音はいったん金剛頂寺へ移され、神峯神社(こうのみねじんじゃ)だけとなって廃寺となりましたが、憎坊跡に堂舎を建立し明治17年に再興しています。

神の峰という寺号そのままに、標高450mの山上にあり、遍路道は「真っ縦」(まったて)と呼ばれる険しい山道を辿ることに。
四国霊場屈指の難所「遍路ころがし」、「土佐の関所」といわれ、門前まで車で行けるようになった今日でも道は狭く運転には注意が必要です。

仁王門から本堂まで続く150段余りの石段の両脇にはよく手入された木々が並び、その美しさが遍路を励ましてくれます。
鐘楼のそばに「神峯の水」という霊水が湧出。

山門の右手前に神峯神社の鳥居があるのは神仏混淆時代の名残り。
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎は土佐国安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市井ノ口)の生まれ。
母は、息子の開運を祈って素足で往復40kmもの道のりを21日間、井ノ口村から神峯寺へ日参した話が残されています。

神峯神社は、現在、神峯寺の奥の院という位置づけですが、1718(享保3)年建立の本殿は、神仏混淆時代の観音堂。

霊場間の距離・時間

26番札所・金剛頂寺(高知県室戸市元乙) — (33km/1時間30分) — 27番札所・神峯寺(高知県安芸郡安田町唐浜) — (38km/1時間) — 28番札所・大日寺(高知県香南市野市町母代寺)

取材・画像協力/(公財)高知県観光コンベンション協会

神峯寺(四国八十八ヶ所霊場第27番札所)
名称神峯寺(四国八十八ヶ所霊場第27番札所)/こうのみねじ
Temple 27: Kounomineji
所在地高知県安芸郡安田町唐浜2594
関連HP四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ
電車・バスでJR唐浜駅からタクシーで10分
ドライブで高知自動車道南国ICから約47km
駐車場神峯寺駐車場(30台/無料)
問い合わせ神峯寺 TEL:0887-38-5495
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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