高知県安芸郡北川村にある土佐三志士・中岡慎太郎の生家。北川郷大庄屋に生まれた勤王の志士、中岡慎太郎。坂本龍馬とともに京の近江屋で暗殺され30年の生涯を閉じていますが、その生家は故郷である北川村に復元されています。もともとの建物は明治13年に藩校のあった田野へ移築され、明治40年に台風のため倒壊しています。
中岡慎太郎館に隣接して建つ復元住居
中岡慎太郎は、天保9年4月13日(1838年5月6日)、北川郷の大庄屋・中岡小傳次と後妻ウシの長男として生誕。
土佐三志士のひとり、武市瑞山(武市半平太)の道場に入門して剣術を学び、武市の結成した土佐勤皇党に参加しています。
八月十八日の政変後、脱藩して、七卿落ちの三条実美の随臣として長州藩内で活動し、下関戦争での英国軍の武力などを目にして、坂本龍馬とともに薩長同盟締結に尽力しています。
現在の中岡慎太郎生家は、中岡慎太郎没後百年祭にあたる昭和42年11月17日(慎太郎の命日=慶応3年11月17日)に資料をもとに復元公開されたもの。
入母屋造り茅葺き屋根で、隣接して中岡慎太郎館が建っています。
屋敷裏にあるナツメの木の切株は慎太郎が幼少時代によく登って遊んだ木という伝承も。
隣接して中岡慎太郎を通じて、幕末の動乱と明治維新への歴史を解説する「中岡慎太郎館」があり、中岡慎太郎銅像が立っています。
「中岡慎太郎を歴史の表舞台へ」という地元の熱意で建てられ、運営されています。
周辺には、藩校・田野学館(安芸郡奉行所の敷地内に開校、現・田野町にある高知県立中芸高校)に通うため、朝夕越え、そしてまた脱藩の時も越したという「向学の道」、夏に飛び込んで水泳したという岩と渕などもあります。
墓所は、京都霊山護国神社の霊山墓地にあります(坂本龍馬と並んでいます)。
中岡慎太郎生家 | |
名称 | 中岡慎太郎生家/なかおかしんたろうせいか |
所在地 | 高知県安芸郡北川村柏木140 |
関連HP | 中岡慎太郎館公式ホームページ |
電車・バスで | 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線奈半利駅から北川村営バスで15分、柏木下車、徒歩すぐ。または、タクシーで15分 |
ドライブで | 高知自動車道南国ICから約55km |
駐車場 | 中岡慎太郎館駐車場(11台/無料) |
問い合わせ | 中岡慎太郎館 TEL:0887-38-8600/FAX:0887-38-8601 |
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