お龍君枝姉妹像

お龍君枝姉妹像

高知県安芸郡芸西村、ロングビーチが続く琴ヶ浜(ことがはま)の琴ヶ浜野外劇場駐車場東側に立つのがお龍君枝姉妹像。桂浜(高知市)の坂本龍馬像に向かって手を振る龍馬の妻・お龍と、お龍の妹・君枝の姉妹像です。お龍は龍馬死後の一時期、妹夫婦を頼ってこの地で暮らしたゆかりの地なのです。

眺める先は桂浜の坂本龍馬像!

芸西村和食(わじき)地区は海援隊隊士・菅野覚兵衛(すがのかくべえ)の出身地(和食の庄屋)。菅野覚兵衛は、坂本龍馬らとともに長崎で亀山社中(のちの海援隊)を結成。
龍馬没後の慶応4年(1868年)3月、生前の龍馬のすすめもあり、菅野覚兵衛はお龍の妹・君枝と結婚し、お龍も龍馬没後に千屋家(菅野覚兵衛の実家で、兄・富之助の家)に身を寄せています。

お龍は、富之助の娘・菅野仲子と同室で暮し、龍馬遺品の短銃でスズメを撃って戯れたりしたと伝えられ、この地を去る時、それまで保存していた龍馬からの手紙も、焼き捨てるよう依頼して京都に出ています。

高さ1.7mのブロンズ像は、岩崎弥太郎像(安芸市)や、維新の門(梼原町)などをてがけた浜田浩造の制作で、平成5年5月12日に除幕。
お龍や君枝の写真をもとにお龍27歳(龍馬が暗殺される近江屋事件の頃)、君枝16歳の頃を想定しているのだとか。

お龍君枝姉妹像は、高知県内に16ヶ所ある「土佐偉人銅像」のひとつ。

ちなみにお龍は、京都から知人の勝海舟や西郷隆盛を頼って東京に移り、明治7年、菅野覚兵衛(あるいは勝海舟とも)の紹介で神奈川宿の料亭・田中家で仲居として働き、明治8年、西村松兵衛と再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らし、明治39年1月15日に横須賀で没しています(信楽寺が墓所)。

お龍君枝姉妹像
名称 お龍君枝姉妹像/ おりゅうきみえしまいぞう
所在地 高知県安芸郡芸西村和食甲4648-2
関連HP 芸西村公式ホームページ
電車・バスで 土佐くろしお鉄道和食駅から徒歩10分
ドライブで 高知自動車道南国ICから約23km
駐車場 琴ヶ浜野外劇場駐車場(50台/無料)を利用
問い合わせ 芸西村企画振興課 TEL:0887-33-2114
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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