二重峠・参勤交代の道

二重峠・参勤交代の道

熊本城の西大門を起点に九州を横断して豊後鶴崎(ぶんごつるさき=現・大分市鶴崎、江戸時代は熊本藩の飛び地でした)へと通じた豊後街道。阿蘇外輪山を越える熊本県阿蘇市の二重峠(ふたえのとうげ)には参勤交代の道(さんきんこうたいのみち)と名付けられた石畳の道も残されています。

熊本藩主も参勤交代に使った峠越えの石畳の道

二重峠・参勤交代の道

二重峠には、1.6kmにわたり幅3mほどの石畳が現存。
溶結凝灰岩を使った石畳には流出を防ぐ水切りが昔のままに残り、往時を偲ぶことができるほか、晴れていれば阿蘇五岳を一望にします。

当時の石畳が2kmにわたって残る二重峠の坂の下の駐車場、または坂の上の駐車場に車を入れれば参勤交代の道を歩くことができます。

天正14年(1586年)、秀吉の九州平定に従い、肥後半国を領有した加藤清正が肥後に入国後、熊本から豊後街道を使って鶴崎に出て、そこから船で大坂(現・大阪)を往復するようになりました。
豊後街道のうち、菊池郡大津町から阿蘇市の二重峠までの道は、「清正公道」(せいしょこどう)とも呼ばれています。

その後、熊本藩もこのルートを参勤交代に活用し、街道を整備しています。
熊本藩主・細川家の参勤交代は、江戸時代に73回を数えていますが、豊後街道・二重峠越えの道は、参勤に31回、江戸からの下国に66回通っています(残りは豊前街道を使っています)。

現在の国道57号が明治17年に立野新道として整備される以前は、「清正公道」が熊本城下と阿蘇を結ぶメインルートだったのです。
白川沿いには崖などもあり、天候急変時や地震などにもろいということで、山越えのルートが選択されたのだと推測できます。

カルデラと中央火口丘群の地形を観察できるビューポイントで、阿蘇ユネスコジオパークの二重峠ジオサイトにもなっています。

二重峠・参勤交代の道
名称 二重峠・参勤交代の道/ふたえのとうげ・さんきんこうたいのみち
所在地 熊本県阿蘇市車帰
関連HP 阿蘇市公式ホームページ
電車・バスで JR赤水駅からタクシーで10分
ドライブで 九州自動車道熊本ICから
駐車場 10台/無料
問い合わせ 阿蘇市観光課 TEL:0967-22-3174
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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