人吉盆地(熊本県人吉市)にある人吉城は、鎌倉時代の建久4年(1193年)、相良氏が人吉の地頭に任じられた際に築城された山城。以来、明治維新に至るまで、35代670年にわたって相良氏が城主を務めるという稀有な城となっています。、球磨川(くまがわ)と胸川(むねがわ)の合流点に築かれ、川を堀とした天然の要害は、日本100名城にも選定。
鎌倉時代から明治維新まで相良家670年に渡る居城
慶長5年(1600年)の天下分け目の関ヶ原の合戦では、20代・相良頼房(さがらよりふさ)は、当初西軍側でしたが途中で徳川方に寝返り、徳川幕府から2万2000石の領地を安堵され(人吉城は人吉藩の藩庁に)、21代・相良頼寛(さがらよりひろ=相良頼房の長男)の治世、寛永16年(1639年)に近世の城郭が完成しています。
丘陵上に本丸、そして二の丸、球磨川沿いに三の丸を配した縄張り。
本丸には天守が築かれず、護摩堂が建てられていました。
幕末に築かれた石垣にはヨーロッパの築城技術を取り入れた槹出(はねだし)工法の「武者返し」も備えられていました。
文久2年(1862年)、城下の鍛冶屋から出火した大火「寅助火事」で城は全焼。
一部の建物が再建されてはいますが、すぐに明治維新となり、廃城令(明治6年)後の明治10年におきた西南戦争では西郷隆盛軍の拠点となり、石垣を残してすべての建物が焼失しています。
現在城跡は、人吉城公園として整備され、平成元年に隅櫓、平成5年に大手門脇多聞櫓と続塀が再建されています。
多聞櫓は大手門脇を守備する櫓で、内部は資料館(入館無料)に。
人吉城 | |
名称 | 人吉城/ひとよしじょう |
所在地 | 熊本県人吉市麓町 |
関連HP | 人吉市公式ホームページ |
電車・バスで | JR人吉駅から徒歩15分 |
ドライブで | 九州自動車道人吉ICから約2.8km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 人吉市教育委員会社会教育課 TEL:0966-22-2111/FAX:0966-22-7019 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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