熊本県熊本市西区にある加藤家代々の菩提寺で、加藤清正が帰依した日蓮宗の名刹が本妙寺。天正13年(1585年)、加藤清正が父・加藤清忠の菩提を弔うため、発星院日真が大坂(おおざか・現在の大阪)に建立したものを、肥後転封後、熊本城内法華坂に移し、さらに清正の死後、中尾山中腹に移築された寺。
加藤清正が眠る浄池廟があり、清正公信仰の中心
蛇の目の紋の入った巨大な仁王門をくぐると長い石畳の参道が続いています。
参道の脇には桜並木、12の塔頭(たっちゅう)が並び九州における日蓮宗の巨刹としての格式を誇っています。
胸突雁木(むなつきがんぎ)と呼ばれる急勾配の176段の石段をはさんで、信者から寄進された700もの石灯籠が並ぶ様は壮観。
大本堂から石段を上った先には加藤清正が眠る浄池廟(じょうちびょう)があります。
江戸時代を通して、清正公信仰(せいしょうこうしんこう)の中心的存在で、藩主・細川家も加藤清正を尊崇して治世に利用しています。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廟は破却されましたが、明治27年に浄池廟本殿として再建されています。
神仏分離で、明治4年に錦山神社(後の加藤神社)が創建され、西南戦争で熊本城が落城しなかったのは加藤清正の加護があったからと信じられ、武運長久の軍神として信仰されるようになり、軍国主義への流れに利用されながら敗戦を迎えています。
慶長16年6月24日(1611年8月2日)、加藤清正が熊本城内で没した際、 遺言により城西中尾山の中腹に御廟所を造営したのが浄池廟の始まり。
本妙寺は、もともと、熊本城内法華坂にありましたが、慶長19年(1614年)の火災で焼失したため、浄池廟のある中尾山移転しています。
往時の大本堂は明治10年の西南の役の戦火で焼失。
現存する大本堂は明治27年の再建。
本妙寺宝物館には、加藤清正の遺品や加藤・細川家に関する文書、書画、工芸品など、三池典太光世作「短刀」や紙本墨書『日本紀竟宴和歌』上下2巻という国の重要文化財を含む約1400点が収蔵、展示。
加藤清正の命日(新暦7月23日~7月24日)には「頓写会」(とんしゃえ) と呼ばれる報恩大法要が営まれていますが、慶長17年(1612年)、一周忌に本妙寺第3代・高麗日遥上人が法華経を書写したのが始まり。
境内、中門近くにある「御宿廣嶋屋」は、明治時代から続く参道沿いにある宿です(建物は明治25年築)。
本妙寺 | |
名称 | 本妙寺/ほんみょうじ |
所在地 | 熊本県熊本市西区花園4-13-1 |
関連HP | 本妙寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR鹿児島本線熊本駅から徒歩20分で中門、熊本市電3号線本妙寺前電停から徒歩15分で中門 |
ドライブで | 九州自動車道植木ICから約16km |
駐車場 | 6台/無料 |
問い合わせ | 本妙寺 TEL:096-354-1411/FAX:096-356-8110 |
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