京都府京都市上京区、真盛町から社家長屋町に位置する京都最古のお茶屋の街が上七軒(かみひちけん)。北野天満宮で豊臣秀吉が大茶湯を催した時、茶屋株の特権を与えられ、花街として栄えたエリア。現在でも軒に提灯がかかる町家など、風情ある町並みが残り、上七軒歌舞会が舞妓文化を継承しています。
風情ある京の花街を散策
上七軒と呼ばれるようになったのは、文安元年(1444年)に起こった北野天満宮の火災の後、天満宮再建のために用意された木材の残りを利用して7軒の茶屋が建てられたことに由来。
戦後は、かつてのような西陣織の隆盛がないこともあって、茶屋文化も途絶の危機にありましたが、現在も「中里」、「さくら」などお茶屋10軒が健在、芸妓、舞妓が京の粋な茶屋文化を継承しています。
『北野をどり』は、昭和27年、北野天満宮の『千五十年大萬燈祭』に奉賛して初演した踊りです。
上七軒歌舞練場では、盛夏には「上七軒ビアガーデン」となり、普段は見ることのできない歌舞練場に入ることができ、揃いの浴衣を身に纏った芸妓さん、舞妓さんが席にあいさつに来て、名刺、「千社札」を配りますが、それを受け取ると「福が舞い込む」といわれています。
一帯9haは上京北野界わい景観整備地区に指定され、電線地中化工事、石畳風舗装の道路整備も行なわれています。
日本の茶屋街(花街)のルーツ、上七軒
天正15年10月1日(1587年11月1日)、北野天満宮境内で『北野大茶湯』(きたのおおちゃのゆ=秀吉が町人、百姓など身分を問わずに参加を呼びかけた大茶会)が行なわれた際に、豊臣秀吉の休憩所となった七軒茶屋。
その時に献上したみたらし団子(御手洗団子)をことのほか気に入った秀吉は、七軒茶屋にみたらし団子(御手洗団子)販売の特権と山城一円の法会茶屋株を公許しています。
実はこれが日本の茶屋街(花街)の公式(官許)の始まり。
現在、上七軒花街の紋章が五つ団子であるのはこの故事に由来しています。
現在、京都には上七軒のほか、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、祇園東、宮川町、先斗町(ぽんとちょう)の5つの花街があり、これを総称して五花街(ごかがい)と呼ばれています。
上七軒 | |
名称 | 上七軒/かみしちけん |
所在地 | 京都府京都市上京区今出川七本松西入ル真盛町742 |
電車・バスで | JR京都駅から市バスで30分、上七軒下車、すぐ |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約9km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
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