京都市西京区大原野にある洛西の名社、大原野神社(おおはらのじんじゃ)。延暦3年(784年)、長岡京遷都にあたり、桓武天皇の后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が藤原氏の氏神でもある奈良・春日大社の分霊を勧請したのが起源。そのため「京春日」(きょうかすが)とも呼ばれています。祭神も春日大社と同じ春日神4柱です。
栄華を誇った藤原氏の氏神として繁栄
嘉祥3年(850年)、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)を祖父に持つ文徳天皇(もんとくてんのう)が社殿を造営、壮麗な春日造の本殿、鯉沢の池などが造営されました。
鯉沢の池は、奈良の猿沢池を真似た池。
平安時代、「この世をば わが世とぞ思ふ」と栄華を誇った藤原氏の王城鎮護、国家鎮護の社として機能し、寛弘2年(1005年)、一条天皇の皇后(中宮)・藤原彰子(ふじわらのしょうし/後一条天皇、後朱雀天皇の生母)の大原野神社への行啓に際しては、父である藤原道長(ふじわらのみちなが)、紫式部(女房と呼ばれた使用人でした)もお供しています。
藤原氏の氏神として栄え、室町時代には足利将軍家の保護を受けて発展。
今でも妃などを多数輩出した藤原氏出身の姫らにあやかり(藤原氏では女子が産まれると皇后や中宮になれるように大原野神社に祈願していました)、良縁祈願に訪れる人が数多いのも特徴。
例祭は桜満開の4月8日で、9月第2日曜には『御田刈祭』が行なわれ、神相撲が奉納されています。
月次祭は毎月1日。
平安時代から紅葉の名所として知られています。
清和天皇に嫁いだ藤原高子(ふじわらのこうし)の大原野神社行幸に同行した在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ「大原や 小塩の山も けふこそは 神世のことも 思出づらめ」は、在原業平の美男、プレーボーイぶりを今に伝える歌としても有名。
実は藤原高子は、入内する以前に在原業平と恋愛関係があったと推測されているのです。
一見すると行幸を祝賀する歌のようですが、その奥底には高子に対する深い思慕の念が込められています。
また、『源氏物語』の作者・紫式部も大原野神社を氏神と崇め、『源氏物語』二十九帖「行幸」(みゆき)の巻には、大原野へと向かう冷泉帝の華やかで美しい行列の様子が描かれています。
名称 | 大原野神社/おおはらのじんじゃ |
所在地 | 京都府京都市西京区大原野南春日町1152 |
関連HP | 大原野神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から京阪京都交通バスで44分、南春日町下車、徒歩10分。または、JR向日町駅・阪急京都本線東向日駅から阪急バスで32分、南春日町下車、徒歩10分 |
ドライブで | 京都縦貫自動車道(京都丹波道路)沓掛ICから約3km |
駐車場 | 80台/有料 |
問い合わせ | TEL:075−331−0014 |
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