二条城南にある神泉苑は、平安京選定と同時に計画され、平安京大内裏に接して築かれた禁苑(一般の人は入れない天皇家の庭)。現在では聖観音・不動明王・弘法大師を本尊とする東寺真言宗の寺になっています。かつての大内裏南に位置し、南北4町、東西2町の広大な地を占める大庭園は、桓武天皇お気に入りの場所だったか。国の史跡。
平安京・大内裏の南に隣接した天皇の庭がルーツ
池自体も古代の京都盆地にあった古京都湖(古山城湖)の名残。
平安京時代には、その敷地は二条通から三条通という広大なものでした。
平安京の内裏(だいり=天皇の居住した場所)は現在の二条城の北側で、二条城の西に大内裏(だいだいり=平安京の宮城)の朱雀門がありました。
神泉苑は、中央の大池に舟を浮かべる舟遊び、観花、競馬、納涼、七夕と、雅な平安絵巻を繰り広げる舞台となり、空海が雨乞いを祈願して以降は「祈雨の霊池」として密教による雨ごいの霊場にもなっていました。
嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を開いたことが『日本後紀』に記されていますが、これが花見の宴のルーツともいわれています。
源義経の一代記である『義経記』では、源義経と静御前が出会った場所とされています。
中世にはかなり荒廃しており、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際に、神泉苑の苑地の北側は城郭に組み込まれ、池泉も城の堀の水源として活用されています。
その後、江戸時代の初期に東寺真言宗の寺院として復興。
南側は住宅地となり、往時の面影は失っています(往時の9分の1くらいの規模になっています)。
三条通りまでは神泉苑の苑地だったので、二条陣屋あたりも、当然、苑内です。
現在は放生池と本堂、善女竜王社、歳神を祀る恵方社、弁天堂(増運弁財天)などがあり、池に架かる法成橋を念じながら渡ると願いが叶うとか。
また安置される木造不動明王坐像は国の重要文化財になっています。
神泉苑 | |
名称 | 神泉苑/しんせんえん |
所在地 | 京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167 |
関連HP | 神泉苑公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄東西線二条城前駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 神泉苑 TEL:075-821-1466/FAX:075-821-1461 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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