京都府京都市東山区、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産・清水寺で、期間限定で特別公開される庭園「月の庭」(国の名勝)で有名なのが、成就院(じょうじゅいん)。もともとは応仁の乱からの復興に尽力した願阿上人(がんあしょうにん)の住房で、現在は清水寺の寺の維持管理を行なう本願を担っています。
春秋のみ「月の庭」(国の名勝)を特別公開
応仁の乱によって焼失した清水寺を、諸国を回る勧進活動によって再興し、寺再建の功労者として「成就院願阿」と呼ばれた願阿上人(願阿弥)の居房が始まりの清水寺の境内に建つ塔頭寺院。
寛永16年(1639年)、初めて武家から朝廷へ嫁ぐという大任を担って江戸城から京(御所)へと移り住んだ東福門院和子(2代将軍秀忠の娘・松姫で後水尾天皇の妻)の寄進によって再建されています。
国の名勝に指定される庭園は、江戸時代初期に相阿弥が作庭し、小堀遠州が補修したと伝えられる借景式・池泉鑑賞式庭園。
庭園は、烏帽子石、籬島(まがきじま)石などの奇石を配し、五葉松や侘助椿(わびすけつばき)、サツキが茂る名園で、蜻蛉燈籠(かげろうとうろう)、手毬燈籠(てまりとうろう)、誰ヶ袖手水鉢(たがそでちょうずばち)など、ユニークな石造物が目を引きます。
庭園を眺める書院は寛永16年(1639年)の再建時のもの。
ギヤマンのガラス戸越しに庭園を眺望するのも味があり、心字池に映る月影が見事で、古くから「月の庭」として賛美されています。
中世〜近世の清水寺は執行(寺主)の宝性院、副寺主・目代(もくだい)の慈心院、寺の維持管理や門前町の支配などを担う本願・成就院の三職と、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の六坊、「三職六坊」と呼ばれる組織によって差配されてきました。
宝性院と成就院は現存しますが、慈心院は本堂のみが随求堂(ずいぐどう)として残され、「胎内めぐり」が可能です。
六坊のうち真乗院は織田信長が廃絶し、残りの義乗院、智文院、光乗院、円養院も明治維新時の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の荒波で廃寺になっていて、現在は延命院が残るのみとなっています。
こうした体制から、成就院が清水寺本坊の扱いとなっています。
成就院は、文明年間(1469年~1487年)に願阿上人が創建、幕末には公卿・近衛忠熈(このえただひろ)や西郷隆盛がこの地で密談。
近衛忠熈は、成就院の住職を務め、高野山の僧籍も兼ねていた忍向(にんこう=月照)に高野山での夷狄退教(いてきたいきょう=キリスト教の退散)の祈祷(きとう)を依頼しています。
井伊直弼が大老に就任、島津斉彬の急死により、形成は逆転し、西郷は月照を薩摩へと誘いますが、月照と西郷は錦江湾に舟で漕ぎ出て、入水自殺、西郷は助かりますが(その後、奄美大島に3年間潜居)、月照は没しています。
「月の庭」(国の名勝)で知られる成就院ですが、幕末には尊皇攘夷の動乱に巻き込まれ、隠れた舞台にもなっているのです。
ちなみに、京都の3つの成就院にある「雪月花の庭園」のうち、「月の庭」以外の残りは、妙満寺成就院の「雪の庭」、北野の成就院の「梅花の庭」。
清水寺・成就院 | |
名称 | 清水寺・成就院/きよみずでら・じょうじゅいん |
所在地 | 京都府京都市東山区清水1-294 |
関連HP | 清水寺公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電鉄清水五条駅から徒歩25分 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約7km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 清水寺 TEL:075-551-1234/FAX:075-551-1287 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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