知恩院

知恩院

承安5年(1175年)、法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山、知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。没後は弟子が廟堂を建て、徳川家の庇護のもと現在の壮大な伽藍となっています。

法然上人ゆかりの名刹で、まさに浄土宗の中心地!

知恩院三門(国宝)
三門(国宝)

浄土宗徒の徳川家康は慶長8年(1603年)に知恩院を永代菩提所と定めて寺領703石余を寄進、駿府に隠居した翌年の慶長13年(1608年)、堂宇を整備。
2代将軍・徳川秀忠、3代・徳川家光にも引き継がれ、徳川3代によって現在の伽藍が整備されています。

本尊は法然上人像(御影堂)と阿弥陀如来像(阿弥陀堂)。
三門(国宝)は日本最大級の大きさを誇っていますが、空、無想、無願という3つの教えを表す、三解脱門(さんげだつもん)。
まさに極楽浄土に入る心をつくるための門ということに。

本尊となる法然の像を安置する大殿(御影堂/国宝)は、寛永16年(1639年)、徳川家光が再建した大建築です。
法然ゆかりの吉水草庵があった場所とされ、ゆかりの地に法然を祀り大きな堂を建てたのです。

大方丈(おおほうじょう)は、寛永18年(1641年)に建立された檜皮葺き・入母屋造りの華麗な書院建築。
狩野派の筆になる豪華な襖絵が飾られ、洛中ではもっとも雅な方丈となっているので、お見逃しなく。
小方丈(こほうじょう)、集會堂(しゅえどう)、大庫裏(おおぐり)、小庫裏(こぐり)、唐門、勢至堂、経蔵、大鐘楼など、いずれも国の重要文化財。

とくに勢至堂は、室町時代の享禄3年(1530年)の再建で(当初は御影堂)、知恩院最古の建築物となっています。
大鐘楼は、除夜の鐘の中継でも度々目にする鐘です。

知恩院・御影堂(国宝)
御影堂(国宝)

北門から黒門へと続く坂道は、時代劇のロケ地

知恩院・方丈庭園
方丈庭園

小堀遠州と縁のある僧玉淵作庭とされる方丈前の池泉観賞式庭園、方丈庭園(国の名勝)も見応えがあります。
大方丈、小方丈とそれぞれから鑑賞されることを意図して建物に沿ってL字型に作庭されています。

鎌倉時代の絵巻『紙本著色法然上人絵伝48巻』(国宝)、『絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図』(国宝)など数多くの文化財を所蔵。
墓地には、徳川四天王のひとりで、京・桜井屋敷で没した井伊直政も眠っています。

北門から黒門へと続く坂道は、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』など時代劇のロケ地として有名な黒門坂。
写真映えする石段なのでお見逃しなく。
映画『ラストサムライ』(2003年/原題『The Last Samurai』/主演:トム・クルーズ)ではトム・クルーズが御所へ向かう階段という設定で、三門から続く急勾配の石段(男坂)もロケに使われています。

なお、知恩院三門前から御影堂前まで、無料シャトルバスが運行されており、利用可能。
シャトルバスを利用すると、男坂をパスしてしまうのでご注意を。

知恩院には洋室も備わった宿坊「和順会館」もあり、宿泊が可能。
「和食処 花水庵」、「カフェ かりん」、「ショップ 沙羅の木」もあり、施設的には宿坊のイメージというよりは知恩院併設のホテルといった感じです。

浄土宗を開いた法然上人を知る

法然上人
法然上人

長承2年4月7日(1133年5月13日)、美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)に生誕。
生誕地は、熊谷直実(くまがいなおざね)が建立の誕生寺。
比叡山などで学び、承安5年(1175年)、専修念仏を奉ずる立場から浄土宗を立宗。
比叡山を下りて東山吉水に住んで、念仏の教えを広めました。

専修念仏の広まりを受けて、元久元年(1204年)頃から比叡山の僧徒との対立が始まります。
そんな中、後鳥羽上皇の熊野詣の留守中に院の女房たちが東山鹿ヶ谷草庵(京都市左京区)で法然門下の遵西・住蓮の開く念仏法会に参加。出家し尼僧になる事件が起こり、密通したという噂も流れたため、承元元年(1207年)、後鳥羽上皇は念仏停止の断を下しています。
法然は還俗させられ、藤井元彦となって土佐国へ流罪に。
親鸞は越後国に配流となっています。

赦免され、建暦元年(1211年)、京に戻り建暦2年1月25日(1212年2月29日)、東山吉水で没。
没後15年目の嘉禄3年(1227年)、天台宗の圧力で隆寛、幸西、空阿が流罪となり、天台宗の僧兵に廟所を破壊される事件が勃発したため、六波羅探題(ろくはらたんだい)の武士の護衛で、遺骸を嵯峨の二尊院に移送。
さらに念仏三昧院などに運ばれた後、安貞2年(1228年)に荼毘(だび)に付されて知恩院などに分骨されています

法然の浄土開宗
『紙本著色法然上人絵伝』(第6巻第3段)東山吉水での浄土開宗
知恩院
名称知恩院/ちおんいん
Chionin Temple
所在地京都府京都市東山区林下町400
関連HP知恩院公式ホームページ
電車・バスでJR京都駅から市バスで16分、知恩院前下車、徒歩6分。または地下鉄東西線東山駅から徒歩12分、京阪本線四条駅から徒歩10分、阪急京都線四条河原町駅から徒歩15分。
ドライブで名神高速道路京都東ICから約6.7km
駐車場タイムズ総本山知恩院新門南(34台/有料)
問い合わせ知恩院 TEL:075-531-2111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

知恩院『秋のライトアップ2024』(夜間特別拝観)|京都市

2024年11月14 日(木)~ 12月1日(日)17:30~21:30(拝観受付終了21:00)、京都市東山区の知恩院で『秋のライトアップ2024』(夜間特別拝観)が行なわれます。東山三十六峰の山麓に堂々たる姿を佇ませる国宝・御影堂を中心

徳川四天王

徳川四天王とは!?

四天王とは、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天という具合に仏法僧を守護している四神のこと。転じて徳川四天王は、仏法守護の四神のように、徳川家康を守り、徳川幕府を開くまでに尽力した酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政のことです。

法然上人御廟

知恩院・法然上人御廟

知恩院境内にある法然上人の遺骨を安置する廟が法然上人御廟。現在の御廟は、1613(慶長18)年に常陸国土浦藩の2代藩主・松平信吉(まつだいらのぶよし=称念寺を開山)の寄進で改築されたもので、「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に

知恩院・勢至堂

知恩院・勢至堂

法然上人が庵を結び、教えを広めた地(大谷の禅房)で、知恩院発祥の地として聖地の雰囲気が漂うのが勢至堂。法然上人は、この地で1212(建暦2)年に没しているので平成23年は没後800年の『法然上人800年大遠忌』でした。勢至堂の建物は1530

知恩院・友禅苑

知恩院・友禅苑

知恩院の一角にある友禅苑は、友禅染の始祖・宮崎友禅(みやざきゆうぜん)の生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園された庭園。宮崎友禅が知恩院の近くに暮らし、扇面絵師として活躍したという歴史に因んで造園されたもの。友禅染の始祖・宮崎友禅の

知恩院・方丈庭園

知恩院・方丈庭園

国の重要文化財に指定された大方丈(おおほうじょう)と小方丈(こほうじょう)は残念ながらともに内部は非公開。その横にある京都市の名勝に指定された知恩院の方丈庭園は、見学が可能です。受付は法然上人御堂の奥にあります。方丈の横にある池泉観賞式庭園

知恩院・大鐘楼

知恩院・大鐘楼

年越しの除夜の鐘を撞く模様がテレビで必ずといいほど中継される知恩院の大鐘。京都方広寺、奈良東大寺と並び日本三楼鐘(日本三大梵鐘)のひとつに数えられる高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トンという巨大な鐘を吊るす鐘楼です。宝仏殿裏の石段を上

知恩院・御影堂

知恩院・御影堂

1175年(承安5年)に法然上人が設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。法然の像を安置する大殿(だいでん)が、御影堂(みえいどう)で、1639年(寛永16年)、3代将軍徳川家光の再建で国宝。奥行35m、間口45mの大建築で、総本山知恩院

知恩院・三門

知恩院・三門

知恩院の三門は、1621(元和7)年、2代将軍・徳川秀忠が再建した巨大な門。高さ24m、幅50m、屋根瓦約7万枚という現存する木造建築として最大の楼門で、国宝。空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱(げだつ)の境地を表わす三解脱門(さ

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ