京都府京都市右京区御室双岡町、京都市街を一望にする卓越した展望地として、昭和16年に国の名勝に指定されるのが、雙ヶ岡(ならびがおか)。北から一の丘、二の丘、三の丘と3つの丘が順に並び、最北の一の丘が最高点で標高115.8m、比高は100mほどで展望台に最適。
二の丘の「とおみのひろば」から京都市街東山を一望に
古くから神楽岡、船岡山とともに風光明媚な場所として都人から愛され多くの和歌に歌われる景勝地。
もともとは仁和寺の所有でしたが、昭和53年に京都市が一部を公有化し、一般に開放されています。
3つの丘には、24基の古墳が造営され、双ヶ岡古墳群と称されています。
一の丘にある双ヶ岡1号墳は、平安時代初期の右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)の墳墓でとされていますが、実際には古墳時代(6世紀後半)の円墳で、太秦(うずまさ)を本拠とした秦氏の長の墓だと推測できます。
天皇の遊猟地で、西麓には南北朝時代、『徒然草』で知られる兼好法師(けんこうほうし=吉田神社の社家卜部家に生誕、晩年に雙ヶ岡の麓に隠棲)の住まいがありました。
「ちきりおく花とならひの岡の辺に あはれいくよの春をすくさむ」は兼好法師の歌。
一の丘東麓の長泉寺が兼好法師の旧跡で境内にその歌碑と墓(兼好塚)が残されています(兼好塚は江戸時代に西麓から東麓へと移設)。
戦国時代の武将で、『古今和歌集』の秘事口伝の伝承者として近世歌学を大成させた細川藤孝(ほそかわふじたか/墓所は南禅寺天授庵)も丹後からこの地へ移り住んでいます(一帯は歴史的風土保存区域に指定)。
「いろいろにならびの岡のはつ紅葉秋の嵯峨野のゆききにぞみる」(後宇多天皇)は、秋の嵯峨野を往き来する折々に雙ヶ岡の紅葉を愛でるという歌です。
当時の嵯峨野は、女郎花(オミナエシ)、薄(すすき)の名所で、都の貴族にとって秋の代表的な行楽地で、雙ヶ岡の麓を抜けて嵯峨野へと往復したのです。
一の丘、二の丘、三の丘を結ぶ遊歩道もあり、京都盆地を一望する眺めのいい場所は標高102mの二の丘で、京都市街と東山を一望にする「とおみのひろば」が設けられています。
一の丘の東麓に疎林と芝生の「こもれびのひろば」、二の丘の東麓に桜などの花木を植栽した「はなみのひろば」が整備され、遊歩道「つれづれの道」で結ばれています。
JR山陰本線花園駅を起点にすると、JR花園駅〜(徒歩10分)〜雙ヶ岡登山口〜(徒歩5分)〜三の丘(徒歩15分)〜二の丘〜(徒歩20分)〜一の丘で、所要は1時間ほどですが、健脚の人は30分ほどで到達してしまいます。
雙ヶ岡 | |
名称 | 雙ヶ岡/ならびがおか |
所在地 | 京都府京都市右京区御室双岡町 |
関連HP | 京都市公式ホームページ |
電車・バスで | JR花園駅から徒歩10分で三の丘下の「みなみのひろば」 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 TEL:075-222-3130/FAX:075-213-3366 |
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