革堂(行願寺)

革堂 行願寺

西国三十三所の第19番札所が革堂(こうどう)と通称される行願寺(ぎょうがんじ)。平安時代の寛弘元年(1004年)創建という京の古刹です。創建当時は一条通りに建っていましたが豊臣秀吉の京の都市改革よって天正18年(1590年)に寺町荒神口に移され、さらに宝永5年(1708年)の大火後に現在地へと移転しています。

西国三十三所観音霊場の第19番札所

行願寺を創建した行円上人は仏門に入る前、猟師をしていて、身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見て、仏門に入ったと伝えられています。
その雌鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖(かわひじり)と呼ばれ、建立した堂も革堂と通称されるようになりました。
その後、藤原道長などの権力者、そして民衆に帰依されるようになったのです。

現存する本堂は、江戸時代後期の文化12年(1815年)の再建。
堂内には行円上人作と伝わる本尊・千手観世音菩薩を安置しています。

本堂横に建つ寿老人神堂は都七福神のひとつで不老長寿のご利益が。
そのほか境内には愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔などがあります。
豊臣秀吉が革堂を寺町荒神口に移した際、南極寿星寿老神(寿老人神堂)と鎮宅霊符神(鎮宅霊符神堂)を祀ったと伝えられています。

宝物館には若い女性の幽霊が描かれた幽霊絵馬などを展示。

西国三十三所霊場間の距離・時間

18番・六角堂(紫雲山頂法寺)(京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248) — (2km/10分) — 19番・革堂 行願寺(京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町) — (23km/1時間30分) — 20番・善峯寺(京都市西京区大原野小塩町1372)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です

革堂(行願寺)
名称革堂(行願寺)/こうどう(ぎょうがんじ)
所在地京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
関連HP革堂 行願寺公式ホームページ
電車・バスで京阪神宮丸太町駅から徒歩9分
駐車場御所東駐車場(70台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ革堂(行願寺) TEL:075-211-2770
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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