京都府京都市左京区、下鴨神社(賀茂御祖神社)の第一摂社で、糺の森(ただすのもり)に建つ河合神社の境内にあるのが鴨長明の方丈庵(ほうじょうあん/復元)。鴨長明(かものちょうめい)は、下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜(ねぎ)・鴨長継の次男で、晩年を暮らしたという方丈を復元したもの。
日野山の山中にあった方丈の庵を復元
下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜・鴨長継(かものながつぐ)の次男として生まれたの鴨長明は、神職を志す傍らで琵琶や和歌を学び、宮廷歌人としても活躍。
父の跡を継いだ河合神社禰宜・鴨祐兼(かものゆうけん)が鴨長明の禰宜就任に強く反対(我が子を禰宜に就任させています)、神職の継承に失敗し、元久元年(1204年)、大岡寺(だいこうじ/現・滋賀県甲賀市水口町)で出家し、蓮胤(れんいん)を名乗っています。
洛北大原に隠棲して4年を過ごし、建暦元年(1211年)、日野に移って草庵を結んで隠棲(京都市伏見区醍醐日野、日野山の山中に方丈の庵跡の碑が立っています)。
隠棲時代、日野山の山中に築いた草庵が、一丈四方(方丈=およそ3m四方で5畳半ほどの空間)の小庵で、安元3年(1177年)の都の火災、元暦2年(1185年)に都を襲った文治地震などをここで日々記録し、その日記が有名な『方丈記』(鴨長明が自ら『方丈記』と命名)です。
元暦2年(1185年)の地震では、「また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震ふること侍りき。そのさまよのつねならず。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にたゞよひ、道行く馬はあしの立ちどをまどはす。」と、「海は傾きて陸をひたせり」という大津波を思わせる記述もあり、現在では歴史学的にも注目される日記になっています。
河合神社の境内にある庵は、日野山山中の方丈庵を復元したもので、広さは方丈、高さは7尺、土居(木組みの枠の土台)に屋根を葺いただけの簡素のものなので、移動も簡単だったと推測できます。
これは、下鴨神社(賀茂御祖神社)の社殿が、長元9年(1036年)から21年一度の式年遷宮の制度が確立し(実際には戦乱、地震などで30年、50年に1回だったことも)、それをヒントにしたともいわれています。
河合神社の復元された方丈庵は、中央に囲炉裏が切られ、机の上の法華経が置かれ、鴨長明の隠棲の様子が分かる仕組み。
鴨長明が没したのも、建保4年閏6月10日(1216年7月26日)、方丈庵でとされています。
鴨長明の方丈庵(復元) | |
名称 | 鴨長明の方丈庵(復元)/かものちょうめいのほうじょうあん(ふくげん) |
所在地 | 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 |
関連HP | 下鴨神社公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪本線出町柳駅から徒歩5分、JR京都駅から市バスで28分、下鴨神社前下車 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約12km |
駐車場 | 300台/有料 |
問い合わせ | 下鴨神社(賀茂御祖神社) TEL:075-781-0010/FAX:075-781-4722 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag