京都府宇治市、京都府道7号(京都宇治線)が宇治川をまたぐ宇治橋の西詰にあるのが、夢浮橋之古蹟碑・紫式部像(ゆめのうきはしのこせきひ・むらさきしきぶぞう)。夢浮橋は、『源氏物語』第54帖(最後の巻)、第三部「宇治十帖」の最後、源氏物語のフィナーレを飾るタイトルです。
源氏物語の最後を飾るのが「宇治十帖」夢浮橋の巻
宇治橋は、京の都と風光明媚な宇治を結んだ、かつての宇治街道に架かる橋で、今も昔も宇治観光の玄関口。
夢浮橋という橋は実際にはなく、しかも『源氏物語』の巻名としては本文中には登場しない言葉を使った珍しい巻にもなっていますが、現在では、はかないものの象徴になる言葉に。
『源氏物語』54帖のうち44帖までは、光源氏を主人公に華やかな宮廷での恋愛模様を描いたものですが、「宇治十帖」と通称され、「橋姫」始まり「夢浮橋」で終わる最後の10帖は、光源氏の子・薫君(かおるのきみ)と孫の匂宮(におうみや)というふたりの男性と、薫を愛しながらも現世で結ばれることを拒み通した宇治の大君(うじのおおいきみ)、中君(なかのきみ=匂宮の妻)、その異母妹でもある浮舟(うきぶね=光源氏の弟である宇治八の宮の三女、「宇治十帖」の第7帖の巻名にも)という3人の姫君が織りなす悲恋物語となっています。
紫式部像は、宇治ライオンズクラブが40周年を記念して平成15年に築いたものです。
1000年余の歴史を隔て、紫式部がNHK大河ドラマ『光る君へ』のヒロインとなったことで、「宇治十帖」とその舞台となった宇治橋周辺は、注目度を高めています。
ちなみに、有名な平等院ですが、『源氏物語』執筆時は、藤原道長の別荘「宇治殿」で、もともとは、光源氏のモデルともいわれる左大臣源融が営んだ別荘。
光源氏の子・薫君の滞在先は、この平等院あたりを想定しているものと推測できます。
有名な宇治川の鵜飼も平安時代にはすでに行なわれていました(藤原道長の異母兄弟である藤原道綱の母は『蜻蛉日記』で鵜飼を記しています)が、実際に紫式部がどのくらい「現地取材」をしているのかは定かでありません。
夢浮橋之古蹟碑・紫式部像 | |
名称 | 夢浮橋之古蹟碑・紫式部像/ゆめのうきはしのこせきひ・むらさきしきぶぞう |
所在地 | 京都府宇治市宇治蓮華5-2 |
電車・バスで | JR宇治駅、京阪電車宇治駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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