京都府宇治市、JR奈良線の宇治川橋梁の上流側に架かるのが、宇治橋。律令制の始まった大化2年(646年)に初代の橋が架けられたという歴史ある橋で、日本三古橋のひとつ。現在の橋は、平成8年に架橋された、檜造りの高欄に青銅製の擬宝珠(ぎぼし)を冠した伝統的な形状になっていて、写真撮影にも最適です。
外見的には中世、近世の宇治橋に似た雰囲気に
京都と南都(奈良)を結ぶ古北陸道(後の奈良街道)の宇治川の渡河部分に架けられたのが、宇治橋。
近代になっても洪水で何度か流されていますが、その度に往時を偲ばせる形状で架け替えられてきました。
江戸時代、宇治のお茶を江戸の将軍家に運ぶ『お茶壺道中』(宇治茶壺道中)もこの宇治橋を渡っています。
多い時には行列は1000人を超え、運ばれる茶壺も100を超えたとのこと(静岡の日本平などで茶の生産が行なわれるのは明治以降で、高級なお茶といえば宇治茶でした)。
初代の宇治橋は、奈良・元興寺の僧・道登(どうとう)が架橋したとされ、いわれは宇治橋東詰の橋寺(放生院常光寺)にある「宇治橋断碑」に刻まれています。
ただし、延暦16年(797年)に完成した『続日本紀』(しょくにほんぎ)には遣唐使で入唐し、玄奘三蔵に師事して法相教学を学んだという道昭(どうしょう)の功績とされているので、定かではありませんが、道登が架橋、道昭が架け変えたという考える研究者もいます。
京の都に近く、宇治に藤原道長の別荘があったことから、『古今和歌集』や『源氏物語』にも登場しています。
現在の橋は橋長155.4m、幅25m。
国産の檜を使った高欄は安土桃山時代の様式。
擬宝珠の形状は、、現存する寛永13年(1636年)の刻印がある擬宝珠に合わせています。
左岸から3つ目の径間に設けられた「三の間」も伝統的な空間です。
豊臣秀吉がお茶のための水をくみ上げた場所ともいわれ、釣瓶(つるべ)で宇治川の清水を汲み上げ、竹筒に移す、『名水汲み上げの儀』が行なわれています。
ただし、この三の間、寛永13年(1636年)の宇治橋新造に築かれたとするのが定説です。
実際に宇治橋を渡ると、交通量の多い京都府道7号(京都宇治線)の橋なので、外見ほどのレトロ感はなく、普通の道路橋のような雰囲気です。
ちなみに、日本三古橋は、宇治橋のほか、瀬田の唐橋(滋賀県大津市)と、かつて山城国(京都府)の淀川にあった山崎橋です。
宇治橋 | |
名称 | 宇治橋/うじばし |
所在地 | 京都府宇治市宇治 |
関連HP | 宇治市公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪宇治駅から徒歩2分、JR宇治駅から徒歩8分 |
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