二条城・西北土蔵(米蔵)

二条城・西北土蔵(米蔵)

徳川将軍の京滞在時の宿所、そして朝廷や諸大名との会見の場となったのが二条城。幕府の威信をかけて築城されていますが、城としての機能を維持するため、米蔵、金蔵、武器庫などの土蔵も多数構築されていました。内堀の西北にある土蔵が、二条城・西北土蔵で米を蓄えた米蔵で、国の重要文化財に指定。

西南土蔵と対を成す米蔵

二条城・西北土蔵(米蔵)

幕府の天領から収められ、二条城へと運ばれた米は、この米蔵2棟に保管されていました。
『葵祭』への下行米支給なども行なわれているので、大量の米を備蓄していたことがわかります。

寛永3年(1626年)頃の建築で、往時にはここに幕府直轄領(天領)から納められた年貢米を貯蔵し、二条御蔵奉行が管理する体制でした。

往時には米蔵の横には西御番頭組小屋が並んで、活気ある一帯でした。

二条城・西北土蔵(米蔵)
名称二条城・西北土蔵(米蔵)/にじょうじょう・せいほくどぞう(こめぐら)
所在地京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
関連HP元離宮二条城公式ホームページ
電車・バスで地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門
ドライブで名神高速道路京都南ICから約7.7km
駐車場第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料)
問い合わせ二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

二条城

徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大政奉還を行なうまで京

二条城・西南土蔵(米蔵)

二条城・西南土蔵(米蔵)

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