日本各地のループ橋を訪ねる日本ループ橋総覧。
3回目となる今回は、広島県の音戸の瀬戸です。
平清盛ゆかりの海峡に架かる
広島県呉市の本土側と倉橋島との間、幅わずかに90mほどの海峡が音戸の瀬戸。
この海峡には、南端最狭部の音戸大橋、北端に第二音戸大橋という2つの橋が架かっています(国道487号)。
昭和36年架橋の音戸大橋は、架橋当時は有料道路でしたが、昭和49年に無料化。
歩道がない、通行量の増加などで平成25年に第二音戸大橋が完成しました。
2つの橋が架かる海峡は1日に700隻の船舶が往来する「瀬戸内の銀座」。
音戸大橋は、海峡を1000トン級の大型船舶が通過するため、航行を邪魔しないよう、海上部分には橋脚を立てない、倉橋島側の用地は少ないという困難をループ橋(呉市側)、らせん橋(倉橋島側)で克服しています。
塗装の朱赤は、平清盛の尊崇した厳島神社の大鳥居の色に合わせているのだとか。
結構、こだわっているのですが、その理由は以下に。
「音戸の瀬戸は、日宋貿易の航路として、平安時代の末に平清盛が開削したという伝承があります」
と広島県商工労働局観光課の解説。
1164(長寛2)年、平清盛は音戸の瀬戸の開削に着手。
10ヶ月の歳月を費やした難工事の末、ようやく完成間近となったある日、潮の流れの関係からどうしても今日中に完成させたかった清盛は、「今ひととき陽の明かりがあれば」と、日迎山の岩頭に立ち、沈みゆく太陽に向かって金の扇を手に「返せ!戻せ!」と叫んだところ、なんと太陽が戻ったという「日招き伝説」も生んでいます。
音戸の瀬戸開削800年を記念して昭和42年には音戸の瀬戸公園に平清盛の立烏帽子直垂姿の銅像「日招像」も建立されています。
潮流は1日8回方向を替え、しかも干満の差は3.8mも。潮の差し込むときに一時的に潮が高くなるときがあり、この現象が「平清盛の白眼の潮」とか「清盛の睨み潮」と名付けられています。清盛が音戸の瀬戸を渡ろうとした際、向かい潮で潮位が上がり船が進まなかったので船の舳先に立って海を睨んだところ、高かった潮が引いたという伝説に由来しています。
そんな伝説を生んだ中世のスーパースター・平清盛ですが、音戸の瀬戸の開削では、人柱(人身御供=生きた人を神に献げる行為)の代わりに一字一石の経石(一切経)を海底に沈め難工事を完成させたといいます。音戸大橋のたもとには、石垣に囲まれた清盛塚があります。清盛塚の中央には供養塔である高さ1.98m宝篋印塔(ほうきょういんとう)も築かれています。
もうひとつの注目が、日本一短い航路の「音戸渡船」。この渡船を利用すれば、船上からループ橋を見上げることができます。
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