三重県伊勢市を流れる勢田川にあった川湊(かわみなと)、河崎湊には、民族の大移動のように伊勢を目指した江戸時代の繁栄を今に偲ばせる蔵が残されています。これが勢田川河崎の蔵群。伊勢には人ばかりでなく物資も集結。伊勢・大湊に集まった物資は勢田川の水運で上流の河崎へと運ばれ、ここで積み荷を降ろしたのです。
「伊勢の台所」と呼ばれた倉庫群
宮川水系の一級河川・勢田川は全長わずかに7.3kmという短い河川。
満潮時には、海の水が逆流して河崎あたりまで押し寄せて満々と川水を湛えます。
河崎地区には問屋の倉庫などが建ち並び、当時「伊勢の台所」と呼ばれていました。
勢田川に面して蔵が並び、道は荷物を運ぶ大八車が対向できる大通りと、「世古」と呼ばれる大通りと川を結ぶ路地で構成されていました。
昭和49年7月7日の七夕水害を契機にした勢田川河川改修工事によって往時の姿を失いましたが(左岸の堤防道路に面影を残します)、100年以上も経た蔵などが建ち並ぶ河崎には、平成14年の夏に小川酒店の蔵7棟、町家2棟などの商家が伊勢市へ寄贈されたことで、「伊勢河崎商人館」が誕生。
江戸中期から続く老舗の酒問屋・小川家の建物を修復したもので、舟から蔵へと直接荷物を運び入れた建物を再生し、郷土料理のレストランや干物やクラフトの店などが営業しています。
勢田川の水運が盛んだった頃には、舟から蔵に直接荷物を運び込みました。
そのため川の水面から直角に蔵が建てられているという独特な造りが残されています。
その構造にも注目を。
おかげ参りの隆盛と河崎の繁栄
文政13年(1830年)に起こった「文政のおかげ参り」(御陰参宮)は、陸路を旅して宮川の渡しを渡った人数が486万人、大湊や神社港などへと海路で到着した人数が10万人以上ともいわれ、1日あたりの最高の人数は14万8000人という記録があります。
当時の日本の総人口が3000万人少々なので、半年間で人口の16%、6人に1人が伊勢を訪れたことになります。
伊勢大湊、勢田川中流の河崎湊へは、参詣者の食料となる米を運ぶ船団が連なったといい、社前の伊勢講の宿も、江戸や大坂の大店の商人には豪華な料理を出したので、大量の物資が運ばれたと推測できます。
こうして河崎は物流だけでなく、東西の文化、貨幣体制(大坂の銀本位、江戸の金本位)の交流点にもなったのです。
勢田川河崎の蔵群 | |
名称 | 勢田川河崎の蔵群/せたがわかさわきのくらぐん |
所在地 | 三重県伊勢市河崎 |
電車・バスで | JR・近鉄伊勢市駅から徒歩15分 |
ドライブで | 伊勢自動車道伊勢ICから約4km |
駐車場 | 25台/無料 |
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