能褒野神社

能褒野神社

奈良時代に編纂された歴史書の『日本書紀』、『古事記』には日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国遠征の帰路、伊吹山(岐阜県)で病となり、大和国(現:奈良県)へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなり、陵墓が築かれたとあります。その陵墓とされる能褒野王塚古墳近くに明治28年に創建されたのが能褒野神社(のぼのじんじゃ)です。

能褒野王塚古墳近くに明治28年に建立

江戸時代の国学者は白鳥塚を日本武尊の陵墓と考え、亀山藩は武備塚説を採用していましたが、伊勢亀山藩の第11代(最後)の藩主・石川成之(いしかわなりゆき)は、双子塚と考えています。
江戸時代のガイドブック『東海道名勝図会』には白鳥塚が日本武尊陵として紹介されています。

ところが明治12年に内務省によってそれまで丁字塚と呼ばれていた前方後円墳(能褒野王塚古墳)が「能褒野墓」に治定されました。
その後、明治28年に日本武尊の遺徳を偲ぶため、能褒野神社社殿が創建されています。

ただし、景行天皇(けいこうてんのう)の皇子といわれる日本武尊は、あくまで伝説上の人物。
日本武尊に関する記述も『日本書紀』、『古事記』以外にはありません。

没した地についても『日本書紀』が能褒野、『古事記』が能煩野と異なる表記になっています。

能褒野神社
名称 能褒野神社/のぼのじんじゃ
所在地 三重県亀山市田村町
関連HP 亀山市公式ホームページ
電車・バスで JR亀山駅からタクシーで15分
ドライブで 東名阪自動車道亀山ICから約8.5km
駐車場 のぼのの森公園駐車場(20台/無料)
問い合わせ 亀山市まちなみ文化財室 TEL:0595-96-1218
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
能褒野王塚古墳

能褒野王塚古墳

2018年10月5日

 

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