日本新三景(新日本三景)とは!?

日本新三景

日本三景は江戸時代前期の儒学者・林春斎(はやししゅんさい)が決めたもの。これに対し、大正5年、現在のブルーガイドブックで知られる実業之日本社が『婦人世界』の読者投票で決めたのが「日本新三景」(新日本三景)。大沼公園(北海道)、三保松原(静岡県)、耶馬渓(大分県)で、それぞれに日本新三景碑を建立しています。

『婦人世界』の読者投票で選定

明治39年1月3日に実業之日本社から創刊された雑誌『婦人世界』。
『実業之日本』、『日本少年』、『幼年の友』、『少女の友』とともに「実業之日本社の五大雑誌」のひとつで、現在出版物販売の主流をなしている委託制度の始まりとなった返品制度を最初に取り入れた雑誌です。
大正4年9月1日発行の『婦人世界』9月号で、日本三景にならって実業之日本社主催による日本新三景の選定を開始(「日本の新三景を募る」を掲載)。
全国投票の結果を、大正5年3月5日の『婦人世界』臨時増刊号で発表したもの。
大正7年には選定されたの3ヶ所(耶馬溪では代表的な景勝地である競秀峰の探勝道入口)に「『婦人世界』創刊10周年記念日本新三景碑」も建立されています。

ちなみに『婦人世界』は、現在の婦人誌のスタイルを確立した雑誌で、家庭婦人向けの実用記事と大衆読み物で構成された編集内容になっていました。
しかも部数、広告収入も他の女性雑誌を圧倒する勢いがあり、女性商業誌として歴史的な雑誌。

その『婦人世界』で、女性が旅行に出ることが珍しかった時代に、日本最初の投票による選定という画期的な取り組みが行なわれたのは、大正デモクラシーの自由主義的な風潮が背景にあったのかもあいれません(ただし日本新三景碑の碑文は東郷平八郎揮毫です)。

大沼公園

所在地:北海道亀田郡七飯町大沼町
景観:大沼越しに駒ヶ岳を眺望。大沼にある島々は駒ヶ岳噴火時の山体崩壊で誕生した「流れ山」。
公園指定:大沼国定公園、ラムサール条約登録湿地
特記:2年に大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で選定された「日本二十五勝」のひとつ(富士五湖、琵琶湖と並んで湖沼の部で選定)
大正〜昭和初期に大沼が注目されたのは、小沼湖畔を走る函館本線からの景観が絶景のため。
函館から仁山のスイッチバックを抜け、小沼に下ると、美しい湖越しに秀麗な駒ヶ岳がそびえ、息をのむような絶景が車窓に展開したため

大沼公園

大沼公園

北海道七飯町の大沼の湖畔にある公園。標高1133mの秀麗・駒ヶ岳をバックに、大沼、小沼、蓴菜沼(じゅんさいぬま)が広がる大沼国定公園の一部。アイヌ語のポロ・ト(poro-to=大きな・沼)、ポン・ト(pon-to=小さい・沼)が語源。北海道

「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント

「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント

北海道七飯町の大沼公園、大沼に浮かぶ島々のうち西大島の北東に設置されているのが「千の風になって」名曲誕生の地モニュメント。名曲『千の風になって』を作曲・訳詞した新井満(あらいまん)は、函館の友人の紹介で大沼公園に別荘を購入。『千の風になって

三保松原

所在地:静岡県静岡市清水区
景観:羽衣伝説の残る美しい松林、駿河湾越しに富士山、伊豆半島を眺望
公園指定:日本平・三保の松原県立自然公園
特記:天橋立とともに日本初の名勝に指定。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産で、日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)にも数えらています。

三保松原

三保松原

駿河湾に突き出すような半島に面した南北7kmの砂浜一帯に、美しい松林が連なる景勝地、三保松原。江戸時代、東海道を歩く人々が「あれが三保の松原か」と江尻宿あたり(東海道本線清水駅付近)から遠望したのが三保松原です。日本白砂青松百選にも選定され

三保の松原が「世界文化遺産」に登録された理由とは!?

日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)にも数えられる三保の松原。駿河湾に突き出した半島ですが、世界遺産・富士山に最後まで登録できるかどうかでやきもきさせたのも、ここ三保。関係者がどうして三保の松原にこだわったかといえば、重要な理由

耶馬渓

所在地:大分県中津市
景観:火山活動で誕生した台地が侵食されて誕生した奇岩の連なる絶景。文政元年(1818年)、頼山陽(らいさんよう)が「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こり。
有名な青の洞門があります
公園指定:耶馬日田英彦山国定公園
特記:日本三大奇勝のひとつ。青の洞門のある本耶馬渓、裏耶馬渓、深耶馬渓(しんやばけい)、奥耶馬渓に分かれています

競秀峰

本耶馬渓・競秀峰

ほぼ全域が「耶馬日田英彦山国定公園」に含まれる国の名勝が大分県中津市の耶馬渓(やばけい)。なかでも絶景として知られる岩峰群が、青の洞門の背後にそびえる競秀峰(きょうしゅうほう)です。青の洞門を南の青集落へと抜け直下から仰ぐ方法、山国川の対岸

青の洞門

青の洞門

大分県中津市、本耶馬溪(ほんやばけい)の代表的な景勝地、競秀峰。山国川に面した岩峰が1kmに渡って屏風を開いたように連なり、奇岩、秀峰の雄大な輪郭に、渋味のある岩肌が加わる最大の見どころ。その裾に江戸時代に手掘りされたのが「青の洞門」(あお

深耶馬渓・一目八景

深耶馬渓・一目八景

大分県中津市本耶馬渓町を流れる山国川の支流、山移川にある景勝地で、耶馬溪のなかでもっとも風光明媚とされる深耶馬渓。なかでもいちばんのみどころは、一目八景。川沿いに群猿山、鳶巣山(とびのすやま)、嘯猿山(しょうえんざん)、夫婦岩、雄鹿長尾の峰

伊福の景(裏耶馬渓)

伊福の景(裏耶馬渓)

金吉川上流(大分県中津市と玖珠町との境界)の渓谷にあり、のこぎりのような奇岩が建ち並び、耶馬渓のなかでも奇岩・奇峰の一番多い場所として知られる、裏耶馬溪。県道平原耶馬溪線の伊福地区(伊福温泉が湧出)は、岩峰群を見上げる絶景の地「伊福の景」と

日本新三景(新日本三景)とは!?
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日本三景

日本三景とは!?

寛永20年(1643年)に刊行された林春斎(はやししゅんさい/林羅山の三男・林鵞峰)の『日本国事跡考』の陸奥国のくだりで、松島、丹後・天橋立、安芸・宮島(原文は厳島)を卓越した三つの景観(原文は「三處奇觀」)としたのが、日本三景の始まり。松

 

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