三保の松原が「世界文化遺産」に登録された理由とは!?

日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)にも数えられる三保の松原。
駿河湾に突き出した半島ですが、世界遺産・富士山に最後まで登録できるかどうかでやきもきさせたのも、ここ三保。
関係者がどうして三保の松原にこだわったかといえば、重要な理由があったから。

万葉集にも歌われ、羽衣伝説も伝わる三保

そもそもユネスコの世界遺産に登録の富士山は、自然遺産ではなく、文化遺産。
正式名は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」です。

廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信(いほはらの 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし)ー田口益人(たぐちのますひと)、『万葉集』(巻3-296)。

と『万葉集』にも歌われた三保。
現代訳すると、「廬原(いはら)の清見崎の、三保の松原を望む海岸を眺めていると、その豊かさに思い悩む事もなくなった」。
平城遷都に従う行政改革で、田口益人は上野国(こうずけのくに=現在の群馬県)の国司(=現在の知事的な立場)に任じられ、東海道を下る旅の途中、清水・興津の清見寺前の海岸(清見潟=国道1号パイパス開通による埋め立てまで、寺の門前は海岸でした)で対岸の三保の松原を眺めたら、あまりに豊かな景観なので、遠地赴任が嫌だったという気持ちも晴れたという歌です。

そんな三保の松原には羽衣伝説も伝わっています。
浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」もあるのです。
残念ながら初代「羽衣の松」は宝永4年(1707年)の宝永大噴火とそれに伴う地震で海に沈んだと伝えられています。現在は3代目の松。

この羽衣伝説は、能楽・謡曲『羽衣』の題材にもなっています。
現代では天女=白鳥とする説(全国の白鳥飛来地と天女伝説地の相関関係から)が有力です。

三保の松原・羽衣の松
↑三保の松原「羽衣の松」。現在の松は3代目

浮世絵に描かれた三保の松原

そして浮世絵。
歌川広重も三保の松原には気合いが入っています。
『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」、北斎の『冨嶽三十六景』に対抗して広重が描いたという『冨士三十六景』のシリーズの中の傑作「駿河三保之松原」、そして久能山から清水湊、三保を眺望した『東海道五拾三次』の「江尻 三保遠望」を描いています。

歌川豊國は、名勝八景『三保落雁』に清見寺と三保の松原が富士の前景として描かれています。

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↑『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」。広重晩年の作品で、日本全国六十余州をくまなく描いた全70図の大作。駿河国(静岡県東部の旧国名)で描かれたのは、もちろん三保の松原

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↑『冨士三十六景』の「駿河三保之松原」。『冨士三十六景』のシリーズの中の傑作といわれています

富士山信仰も絶景の地・三保を見逃さなかった!

三保半島は、安倍川上流部や有度山(うどさん)の南壁から波によって運ばれた土砂が堆積し形成された砂嘴(さし=洲浜)。
波に洗われて栄養の少ない洲浜には、黒松が茂ります。
松原越しにの富士の絶景は、まさに箱庭的な庭園美の具現にもなっているのです。
富士講の富士登拝の『富士曼荼羅図』にも富士山の前景として三保の松原が描かれています。
まさに「富士山信仰と切っても切れない関係だった」というのが、静岡県関係者が三保の松原登録に対しての「譲れない理由」だったのです。
こうして、めでたく、三保の松原も世界文化遺産に登録されたのです。

富士参詣曼荼羅
↑『絹本著色富士曼荼羅図』(国の重要文化財/富士山本宮浅間大社蔵)にも前景に三保の松原が描かれています

三保の松原DATA

名称 三保の松原
住所 静岡県静岡市清水区三保
電車・バスで JR清水駅からしずてつジャストライン東海大学三保水族館・三保車庫行きで25分、三保松原入口下車、徒歩10分
ドライブで 東名高速道路清水ICから25分
駐車場 羽衣の松駐車場(100台)/無料
問い合わせ 静岡市観光交流課TEL:054-221-1310
関連HP 静岡市シティプロモーション
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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