宮城県白石市郡山穴ノ前、JR東北本線白石駅の北東2km、斎川に臨む崖に築かれているのが、郡山横穴古墳群(こおりやまよこあなこふんぐん)。現在60数基が確認されており、白石地方最大の横穴群となっています。白石市の東北、郡山地区は良質の白色疑灰岩の産地で、その凝灰岩を利用した横穴墓が築かれています。
東北本線の車窓からも見学できる横穴墓
JR東北本線の車窓からも眺めることができ、昔から「蝦夷穴」(えぞあな)と呼ばれてきたもので、貯蔵庫に転用されたり、浮浪者が住み着いたり、さらには風化などで劣化改変が進んでいます。
明和9年(1772年)刊行の仙台藩編纂『封内風土記』(ほうないふどき)の記録が史書に残る最古のもので、東北本線開通後、明治45年の『刈田郡案内』には「蝦夷穴」として観光紹介されてもいます。
大正14年刊行の『白石町誌』には、「近来考古学者によってこ の横穴はアイスの墓所であると推定されている」と記されていますが、七尾市須曽町にある「須曽蝦夷穴古墳」(すそえぞあなこふん)同様に、アイヌのものという伝承、推測があるだけで、実際には古墳時代の横穴墓です(須曽蝦夷穴古墳も築造年代は7世紀中頃/注、北海道アイヌは鎌倉時代、モンゴルの樺太侵攻以降の北方民族と定義されています)。
平安時代以前は蝦夷(えぞ)ではなく、蝦夷(えみし)と呼ばれていたので、もし北方民族の墓であるなら蝦夷穴(えみしあな)と呼ばれていたはずで、蝦夷穴(えぞあな)としょうされるようになったのは近世以降だと推測されています。
郡山横穴古墳群は、南面して露呈した疑灰岩の崖に、東西65m、中央部の高さ45mの部分に、3段から4段に群集して横穴が築かれています。
出土する遺物がないため、正確な年代はわかりませんが、古墳時代後期~奈良時代の横穴墓だと推測でき、当時ここで暮らした豪族などの墓だと推測されています。
郡山横穴古墳群 | |
名称 | 郡山横穴古墳群/こおりやまよこあなこふんぐん |
所在地 | 宮城県白石市郡山穴ノ前19 |
関連HP | 白石市公式ホームページ |
電車・バスで | JR東白石駅から徒歩40分 |
ドライブで | 東北自動車道白石ICから約5km |
問い合わせ | 白石市生涯学習課 TEL:0224-22-1343/FAX:0224-24-5377 |
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