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森さんのルーツを探せ!

大姓23位の森さん。一文字の名前では、林さん(大姓19位)に次ぎ、国民の0.38%、全国に48万人近くの森さんが暮らしています。林さん同様に地形姓ですが、家の周りには林よりも森のほうが少ないのが19位と23位の違いかもしれません。 「鎮守の森」といわれるように、少し聖なるパワーを感じる名前です。

森さんなら真っ先に訪れたいのは厚木市

森さんは林さんと同様に地形姓のため、発祥の地と推測できる場所は全国各地にありますが(大字が森、遠州森など)、一番有名なルーツは森蘭丸を出した相模国の森氏でしょう。

その発祥は、相模国愛甲郡森(毛利)の清和源氏義家流で、源義家(みなもとのよしいえ=八幡太郎義家)の子・源義隆(みなもとのよしたか)が森(毛利)に住んで森冠者(もりかじゃ)と称しました。
源義隆の3男・若槻頼隆、さらにその次男・森頼定(もりよりさだ)が森さんのルーツです。

現在の住所は、神奈川県厚木市毛利台で、一帯は中世以前は毛利庄(もうりのしょう)、近世には南毛利村でした。

『厚木市史』によれば源頼朝に重用された大江広元(おおえのひろもと)は下毛利庄を領有し、その四男は毛利庄を本貫として毛利季光(もうりすえみつ)を名乗ったと記されています。

森さんと毛利さんは、相模に絞れば同じ発祥の地ということになります。

森一族は美濃国(岐阜県南部)に土着

戦国時代に、美濃国に土着した森一族(森頼定の子孫)の活躍には目覚しいものがあります。

織田信長に仕えた森可成(もりよしなり)は、信長の天下統一に向けた戦いで戦功を挙げ、やがて美濃国金山城の城主にまで出世。

浅井・朝倉連合軍との熾烈を極めた戦いで森可成とその嫡男・森可隆(もりよしたか)は討死。
跡を継いだ鬼武蔵の異名をとる次男・森長可(もりながよし)は、本能寺の変の時、信濃国川中島城主で、その後、東美濃統一を果たしています。

岐阜県可児市兼山にある美濃金山城跡は、織田信長が美濃国を領有すると永禄8年(1565年)に家臣の森可成が城主となり、烏峰城を金山城に改めているます。

有名な森蘭丸も森さんのルーツ

天下布武を掲げて京に入った織田信長が討たれた本能寺の変が、信長本人だけでなく森一族にも大きな傷を与えています。
森長可の次弟・森成利(もりなりとし)は、織田信長の小姓・森蘭丸(もりらんまる)その人。
森蘭丸は弟・森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)とともに本能寺で散っています。
時代劇で描かれる本能寺の変では、必ず織田信長に寄り添う美青年がいますが、これが森蘭丸。

森蘭丸に続いて、森長可も2年後に徳川家康と羽柴秀吉が戦った小牧・長久手の戦いで秀吉側の武将として討死しています。

家督を継いだ六男・森忠政(もりただまさ)は美作国(みまさかのくに)・津山城主(18万6000石)となり、寛永3年(1626年)、嫡男・忠広と2代将軍・徳川秀忠の養女・亀鶴姫(前田利常の娘)が婚姻。
しかし、寛永10年(1633年)には忠広が家督を継ぐこと無く死亡し、やがて津山藩の森家は跡継ぎがなく廃絶。
このとき津山城の受け取りに行ったのが赤穂藩家老・大石内蔵助だったとか。
その後、森長直(もりながなお)はわずか2万石で播州赤穂藩に転じています。

森鷗外は島根県津和野出身

有名な森鷗外(森林太郎)は清和源氏の石見国(いわみのくに=島根県西部)の森氏がルーツ、森鷗外の故郷・津和野は、関ヶ原の戦いまでは森氏と同族の毛利氏領であったことも偶然の一致。

島根県津和野町町田には森鴎外旧宅・森鴎外記念館もあるので、鷗外ファンならずとも森さんならぜひ訪ねたい場所。

津和野の森家は代々津和野藩主、亀井家の御典医を務めた名家。
森と毛利が同族というのは、和銅6年(713年)、元明天皇は「二字佳名の詔」を出し、それによって木の国は紀伊国に、泉の国は和泉国、和(やまと)の国は大和国と1文字が2文字となったのです。

これで、本来は神社の森を意味する、森さんから毛利さんや毛里さんが派生したといわれているのです。

森さんは中国、四国を中心に多い傾向が

森さんのなかでもっとも有名人は誰でしょう?
「森鷗外でしょ」と答える人が多いでしょうが、「森蘭丸が一番有名だよ」と考える年配の人、歴史好きもいるかもいれません。

歌手の森進一は、本名は森内一寛、ついでに森昌子も森田昌子、森光子の本名は村上美津(むらかみみつ)で森すら付きません。
森姓には「かっこいい」、「聖なる」イメージがあるのでしょうか?

森さんは、徳島県で大姓6位、香川県で6位、長崎8県位、三重県9位、中国、四国を中心に広く分布し、東北はやや少ない傾向に。

森氏の代表紋は鶴の丸。
そのほか、向い鶴、五三桐、十文字、根笹、桧扇、亀甲、銀杏(ぎんなん)、十六弁菊花、鳳凰丸、森の文字、毛利の沢瀉など。
ちなみに、森蘭丸の家紋は鶴の丸、森鷗外家の家紋は、柏の変り紋である「乱れ追い重ね九枚」です。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

森さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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