世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」のうち、大阪府堺市にある百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の構成資産は23基。日本最大の古墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を中心に、その陪冢(ばいちょう)や周辺に築かれた帆立貝形古墳、方墳、円墳と4種の古墳を見学(おもに外観見学)することができます。
田出井山古墳(反正天皇陵)|たでいやまこふん(はんぜいてんのうりょう)
墳丘長:148m
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
宮内庁の名称:百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)=反正天皇陵
備考:河内、和泉、摂津の三国の境にあり、方位のない清地とされ方除祈願で知られる方違神社(ほうちがえじんじゃ)が北東角に鎮座
ニサンザイ古墳を反正天皇の天皇陵と考える説もあります
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)|だいせんりょうこふん(にんとくてんのうりょう)
墳丘長:525m/国内最大・世界三大墳墓
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市堺区大仙町
宮内庁の名称:百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)=仁徳天皇陵
備考:考古学的にはミサンザイ古墳(履中天皇陵・5世紀前半)→大仙陵古墳(仁徳天皇陵・5世紀中頃)→田出井山古墳(反正天皇陵・5世紀中頃)の順に造られたことが推定されており、16代・仁徳天皇→17代・履中天皇→18代・反正天皇という在位順との矛盾も生まれ、ミサンザイ古墳を仁徳天皇陵と考える研究者もいますが『延喜式』の記述と一致せず、確定していません
茶山古墳|ちゃやまこふん
墳丘径:56m
墳形:円墳(大仙陵古墳の周濠の堤の上に築かれた特異な古墳)
所在地:大阪府堺市堺区大仙町
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪塚甲号
備考:貞享元年(1684年)に編纂された堺の地誌『堺鑑』に豊臣秀吉が鷹狩をした際、陵上に築いた仮居宅を、茶屋山と呼んだことに由来すると記載
大安寺山古墳
墳丘径:62m
墳形:円墳
所在地:大阪府堺市堺区大仙町7
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪塚乙号
備考:三重の濠が巡らされる大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の中堤と一体化して築かれている珍しい古墳(茶山古墳と同様)
永山古墳|ながやまこふん
墳丘長:100m
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市堺区東永山園
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪冢(仁徳天皇陵陪塚と号飛地)
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚のような場所にありますが、規模が大きく、墳形も整っていることから、独立した古墳だと推測されています
源右衛門山古墳|げんえもんやまこふん
墳丘径:34m(構築当初は48mほどだったと推測)
墳形:円墳
所在地:大阪府堺市堺区向陵西町4丁
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪塚ち号飛地
備考:墳丘の周囲には濠が巡らされていますが、周囲は住宅が取り囲み、埋没保存されています(古墳の西側と北側の道路が埋没保存された濠で、周濠外周を路面タイルに濠の位置を表示)
塚廻古墳|つかまわりこふん
墳丘径:35m
墳形:円墳
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町1丁25
宮内庁の名称:治定なし(大仙陵古墳の陪冢と推測されていますが堺市が保有)
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の外濠東側にある古墳
収塚古墳|おさめづかこふん
墳丘長:57.7m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁149
宮内庁の名称:治定なし
備考:前方部は削平されているため、現状では円墳のような形状
大仙陵古墳の陪冢(ばいちょう)だと推測されますが、宮内庁の指定はありません
孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)
墳丘長:65m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪塚い号飛地(後円部墳丘のみ指定)
備考:江戸時代に中筋村庄屋・南孫太夫が保有した土地だったことに由来する名称
後円部のみ宮内庁が管理するためとして立ち入りが禁じられ、修造された前方部と周濠は堺市が管理(前方部と周濠は堺市の史跡)
竜佐山古墳
墳丘長:61m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区大仙中町(大仙公園内)
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪塚ろ号飛地
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の周囲に巡らされる外濠の南側、外濠に並行して築造
銅亀山古墳|どうがめやまこふん
墳丘長:1辺26m
墳形:方墳
所在地:大阪府堺市堺区大仙町6-26
宮内庁の名称:仁徳天皇陵に号飛地
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の前方部西側の外濠から20mほどという近接した古墳
菰山塚古墳|こもやまづかこふん
墳丘長:33m(現存部分)
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区南丸保園2-4
宮内庁の名称:仁徳陵古墳陪冢ち号飛地
備考:現在は住宅に取り囲まれた円墳状の墳丘が残るのみ
丸保山古墳|まるほやまこふん
墳丘長:87m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区北丸保園
宮内庁の名称:仁徳天皇陵陪冢(仁徳天皇陵陪塚へ号飛地)
備考:帆立貝形古墳(前方部の短い前方後円形の古墳)としては百舌鳥古墳群で最大の規模を誇る古墳
長塚古墳|ながつかこふん
墳丘長:106m
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
宮内庁の名称:治定なし
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚のような場所にありますが、規模が大きく、墳形も整っていることから、独立した古墳だと推測されています
旗塚古墳|はたづかこふん
墳丘長:57.9m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町3丁
宮内庁の名称:治定なし
備考:大仙公園内にある古墳で、百舌鳥古墳群の中央部に位置しています
銭塚古墳|ぜにづかこふん
墳丘長:72m
墳形:帆立貝形古墳
所在地:大阪府堺市堺区東上野芝町1丁(大阪府立堺支援学校)
宮内庁の名称:治定なし
備考:大阪府立堺支援学校敷地内にあるため、見学は不可
上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)|かみいしづみさんざいこふん(りゆうてんのうりょう)
墳丘長:365m/国内第3位
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市西区石津ヶ丘
宮内庁の名称:百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)=履中天皇陵
備考:大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)よりも古くに造られたことが判明
築造されたのは5世紀初頭で、第15代・応神天皇ー第16代・仁徳天皇ー第17代・履中天皇で、仁徳天皇の第一皇子が履中天皇ということから考えれば、大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)と上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)が築かれた年代が逆転することになるため、被葬者は定かでありません
寺山南山古墳|てらやまみなみやまこふん
墳丘長:長辺44.7m
墳形:方墳
所在地:大阪府堺市西区上野芝町1丁1
宮内庁の名称:治定なし
備考:周濠の一部が上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)の外濠と重なり、さらには上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)後円部の中心から放射状に延ばした直線に墳丘主軸線を沿わせて造られています(濠は埋没保存)
七観音古墳|しちかんのんこふん
墳丘径:32.5m
墳形:円墳
所在地:大阪府堺市堺区旭ヶ丘中町4丁7−14(大仙公園)
宮内庁の名称:治定なし
備考:大仙公園の西端、上石津ミサンザイ古墳の後円部周濠の北側に位置する、その陪冢
いたすけ古墳
墳丘長:146m
墳形:大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁338番地外
所在地:大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁
宮内庁の名称:治定なし
備考:築造は、5世紀前半と推測されていますが、被葬者は定かでありません
善右ヱ門山古墳|ぜんえもんやまこふん
墳丘長:一辺28m(墳丘の上部は改変を受けており、一辺の長さも推定値)
墳形:方墳
所在地:大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁431
宮内庁の名称:治定なし
備考:いたすけ古墳の陪冢で個人所有の古墳
いたすけ古墳の陪塚は数基あったとされていますが、私有地であったため土取と住宅造成のため破壊され、善右ヱ門古墳のみが住宅地の中に現存
御廟山古墳|ごびょうやまこふん
墳丘長:203m
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市北区百舌鳥本町1丁
宮内庁の名称:百舌鳥陵墓参考地(被葬候補者:第15代応神天皇)
備考:築造時は二重の周濠をもつ古墳でしたが、外側は市街化で失われています
ニサンザイ古墳
墳丘長:300m/国内第7位
墳形:前方後円墳
所在地:大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁
宮内庁の名称:東百舌鳥陵墓参考地(被葬候補者:第18代反正天皇の空墓)
備考:百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定していますが、墳丘長148mと百舌鳥古墳群では7番目の規模であることから、その4倍の規模があるニサンザイ古墳が反正天皇陵とする説もあります
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」 百舌鳥古墳群構成資産 全23基 | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag