木喰五智館

日向国分寺跡(ひゅうがこくぶんじあと)の金堂のあった地の東に建つのが木喰五智館(もくじきごちかん)。江戸時代、遊行僧の木喰(もくじき)は日向を旅した際に、この地の住人に請われて7年間寺住し、日向国分寺の再興に尽力しています。しかし、1791(寛政3)年の大火で堂宇を焼失したため、五智如来像を刻んでいます。

木喰上人の刻んだ像を安置

高さ3mを超す巨大な像で、本尊の大日如来を中心(中尊)に、宝生如来、薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の五智如来像が現存しています。

中世の日向国分寺は、真言宗の寺となって存続。
真言密教では、大日如来が宇宙の根本原理であり、至高の存在ですが、大日如来の5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を象徴するものが五智如来なのです。

木喰が自刻した五智如来像を安置した日向国分寺ですが、九州では明治維新の廃仏毀釈の嵐が強く、寺は明治4年に廃寺となっています(周辺に残る墓石から廃寺後、いったん復興し、明治中期まで寺として存続していたと推測されます)。
五智如来像は民家に移され、かろうじて難を逃れています。
その貴重な仏像を収蔵公開しているのが木喰五智館です。

宝生如来像には寛政4年(1792年)年8月15日、釈迦如来像には寛政6年(1794年)3月8日の銘があります。
この仏像を彫ったとき、木喰は70代だったというから、そのエネルギーにも脱帽です。
1797(寛政9)年、木喰上人は「朝日さす その日に向かう国分寺 国安の人を守れ 五智山」の歌を残して日向国を去っています。その時、80歳になっていました。

木喰上人は、念願であった蝦夷地(北海道)から薩摩国(鹿児島県)までの回国(日本一周)を果たし、1800(寛政12)年には故郷の甲斐国古関村丸畑(現・山梨県南巨摩郡身延町古関字丸畑)に戻り、甲斐国での創作になお励み、1810(文化7)年6月5日、93歳でこの世を去っています。

木喰五智館 DATA

名称 木喰五智館/もくじきごちかん
所在地 宮崎県西都市三宅1187
関連HP 西都市観光協会
ドライブで 東九州自動車道西都ICから約5.5km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 西都市観光協会TEL:0983-41-1557/FAX:0983-41-1559
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日向国分寺跡

2017.08.20
 

 

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