志賀直哉旧居

志賀直哉旧居

奈良市高畑大道町にある昭和初期に志賀直哉(しがなおや)自身が設計した邸宅が志賀直哉旧居。文豪・志賀直哉は大正14年、京都の山科から奈良に移り住み、4年後の昭和4年、高畑に新居を建て、昭和13年4月、鎌倉に転居するまでの9年間をここで暮らしています。国の登録有形文化財。

『暗夜行路』を完成させた志賀直哉の旧宅

志賀直哉自らが設計して建てたこの家で、『リズム』、『日曜日』、『万暦赤絵』などの多数の作品を執筆、昭和12年には雑誌『改造』に連載しながら、長い間中断されていた『暗夜行路』(あんやこうろ)を完成させています(我孫子市の志賀直哉邸跡に書斎が残され、『暗夜行路』の前編と後編の大半は我孫子で執筆されています)。
設計は志賀直哉自身ですが、建築を担ったのは、京都の数寄屋大工の棟梁・下島松之助。
この地を選んだのは、御蓋山、春日山、若草山、高円山などを借景とする景観とともに、古美術の研究をするためにも理想的な土地だったことがあげられます。
志賀直哉は生涯に23回も引っ越しを繰り返した引っ越し好きですが、奈良は子育ての適地ということもあり、9年も暮らしています(子供部屋の床はなんとコルクタイルが敷いてあります)。

志賀直哉の邸宅の広々としたダイニングルームには当時、滝井孝作、武者小路実篤、小林秀雄、尾崎一雄、梅原龍三郎、堂本印象ら多くの文化人たちが集い「高畑サロン」とも呼ばれていました。

柳生街道(滝坂の道)入口、白亳寺(びゃくごうじ)に続く坂道が気に入り、よく散策していたとのこと。
戦後は米軍に接収された後、空き家に。
そして昭和28年から「厚生年金飛火野荘」として使われていましたが老朽により建て替え計画が持ち上がったため、文化財保存の観点から奈良学園の創設者で理事長・伊瀬敏郎(いせとしお)の英断で購入。
昭和53年に奈良文化女子短期大学が譲り受け、セミナーハウスとなっていますが、平成20年~21年に志賀直哉が住んでいた時代を忠実に再現する修復工事が行なわれ、復元公開されています。

「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。5月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も奈良を憶う種となるだろう」(随筆『奈良』)。

志賀直哉旧居
名称 志賀直哉旧居/しがなおやきゅうきょ
所在地 奈良市高畑大道町1237-2
関連HP 志賀直哉旧居公式ホームページ
電車・バスで JR・近鉄奈良駅から市内循環バスで10分、破石町下車、徒歩5分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約7km。西名阪自動車道天理ICから約7km
駐車場 県営高畑駐車場(166台/有料)
問い合わせ 志賀直哉旧居 TEL:0742-26-6490
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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