興福寺・東金堂

法相宗大本山、669(天智8)年に藤原鎌足の病気平癒を祈願して妻・額田王が造営した山階寺が始まりと伝わる古刹が奈良の興福寺。平城遷都の際、鎌足の息子・藤原不比等により現在地に移され寺名を興福寺と改めました。薬師如来像を本尊として祀る東金堂は、国宝です。

中金堂の東にある金堂

寺の中心的な堂は710(和銅3)年の平城京遷都直後に造営が始められたと推定される中金堂。
その両側に東金堂、西金堂が建てられました。

東金堂は、726(神亀3)年に創建された堂で、度重なる兵火により焼失し、再建をくり返し、現在の建物は1415(応永22)年の再建。
本尊薬師如来像、日光菩薩、月光菩薩像は国の重要文化財。
薬師三尊が本尊なのは、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、建立された堂のため。
1180(治承4)年、平家による南都焼討の兵火による焼失後、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を興福寺の僧兵が強奪して安置したものとか。

文殊菩薩像、維摩居士像、四天王像、十二神将像は国宝。

興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。

興福寺・東金堂
名称興福寺・東金堂/こうふくじ・とうこんどう
Toukondou(Eastern Golden Hall),Kohfukuji
所在地奈良県奈良市登大路町48
関連HP興福寺公式ホームページ
電車・バスでJR奈良駅から奈良交通バス市内循環で5分、県庁前下車すぐ。近鉄奈良線奈良駅の東改札口からすぐ
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約6.4km
駐車場興福寺駐車場(46台/有料)
問い合わせ興福寺寺務所 TEL:0742-22-7755
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

興福寺・北円堂

721(養老5)年8月、興福寺創建者、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明上皇、元正天皇の両女帝が太政大臣の長屋王(ながやのおおきみ)に命じて創建した八角円堂。日本に現存する八角円堂のうち最も美しいと賞賛される堂で、もちろん国宝で

興福寺・三重塔

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興福寺・五重塔

興福寺の国宝に指定される五重塔は、730(天平2)年、興福寺を創建した藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・光明皇后(聖武天皇の皇后)が創建したもの。度重なる兵火のため焼失し、現在の塔は1426(応永33)年に再建されたものと伝わります。国宝

興福寺・南円堂

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興福寺

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