柳生街道・夕日観音

柳生街道・夕日観音

奈良県奈良市、江戸時代に奈良奉行によって敷かれた石畳の柳生街道(滝坂の道)沿いにあるのが柳生街道・夕日観音。街道から少し斜面を登った場所にある巨岩に刻まれた弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)。鎌倉時代の作といわれ、夕日を受ける方向に向かって彫られていることがその名の由来。

鎌倉時代の弥勒信仰隆盛を背景に刻まれた弥勒仏

柳生街道(滝坂の道)を通って柳生で武芸に励んだ多くの武芸者がこの岩に武芸上達を祈願したともいわれています。
夕日観音の名がありますが、朝日観音と同様に刻まれるのは観音菩薩ではなく、弥勒菩薩(みろくぼさつ)です。
鎌倉時代に南都(奈良)で流行した弥勒信仰を背景に建立されたもの。

弥勒菩薩は、釈迦入滅から56億7000万年後の未来に仏となってこの世に下り、衆生を救済するという菩薩(修行中の仏、修行を終え悟りを完全に開いたのが如来)。
平安時代の半ばから、京の貴族社会を席巻した極楽往生への願望(阿弥陀信仰)と並行し、弥勒菩薩への信仰が成熟し、11世紀に末法思想が広まると、弥勒菩薩がこの世に出現するという『弥勒下生経』(げしょうきょう)に記された弥勒下生信仰(みろくげしょうしんこう)が優勢になります。
こうした世相を背景に、南都(奈良)でも寺には菩薩立像が安置されるなど、菩薩信仰が隆盛となったのです。
実は、平安時代〜鎌倉時代の石仏の多くは弥勒仏で、観音と名が付いていても、弥勒菩薩であることが多く、法相宗では第一祖を弥勒とすることから、大和ではとくに弥勒信仰が盛んで、鎌倉時代、多くの弥勒石仏が彫られています。
 奈良市月ヶ瀬の「のど地蔵」と通称される石仏も弥勒菩薩、そして宇陀市の大野寺石仏(弥勒磨崖仏)、桜井市の瀧倉神社弥勒石仏、桜井市の談山神社弥勒石仏など多くの弥勒石仏が現存しています。

柳生街道・夕日観音
名称 柳生街道・夕日観音/やぎゅうかいどう・ゆうひかんのん
所在地 奈良県奈良市百毫寺町
電車・バスで JR・近鉄奈良駅から奈良交通市内循環、山村町行きなどのバスで、砕石町下車、徒歩45分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約7km。西名阪自動車道天理ICから約10kmで春日大社駐車場
駐車場 春日大社駐車場(100台/有料)などを利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧柳生街道・朝日観音

柳生街道・朝日観音

奈良県奈良市、柳生街道(滝坂の道)、能登川の渓流の巨岩に刻まれた三尊仏が柳生街道・朝日観音。文永2年(1625年)の銘があり、朝日観音と呼ばれてはいますが、観音菩薩ではなく、中央が弥勒菩薩(みろくぼさつ)で左右に地蔵菩薩を配した菩薩像。朝の

柳生街道・寝仏

柳生街道・寝仏

奈良県奈良市、奈良と柳生を結ぶ柳生街道(滝坂の道)途中にある岩に刻まれた磨崖仏が柳生街道・寝仏。智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界大日如来坐像(像高48cm)部分が街道脇に転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来です。刻ま

柳生街道(滝坂の道)

柳生街道(滝坂の道)

奈良県奈良市、奈良から春日山(かすがやま)を越え、柳生(やぎゅう)を結ぶ旧道が柳生街道(滝坂の道)。世界遺産にも指定された春日山原始林の鬱蒼とした巨木が茂るなかを石畳の道が続いています。現在残された2.5kmにわたる石畳は江戸時代に奈良奉行

柳生街道・首切り地蔵

柳生街道・首切り地蔵

奈良県奈良市、奈良から春日山(かすがやま)を越え、柳生(やぎゅう)を結ぶ旧道が柳生街道(滝坂の道)。その滝坂の道の柳生側、藩政時代に整備された2.5kmの石畳のとぎれた三叉路にあるのが首切り地蔵。荒木又右衛門(あらきまたえもん)に試し斬りさ

柳生疱瘡地蔵

柳生疱瘡地蔵

奈良県奈良市柳生町、柳生と奈良を結ぶ柳生街道の柳生側入口近くに、大きな花崗岩に浮彫りされた地像菩薩像が立っていますがこれが柳生疱瘡地蔵(やぎゅうほうそうじぞう)。元応元年(1319年)11月の銘があることから、鎌倉時代に造立された地蔵尊であ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ