橿原神宮

橿原神宮

『日本書紀』の神武天皇(じんむてんのう)が畝傍山(うねびやま)の東南・橿原(かしはら)の地に宮を建てられ即位の礼を行なったという記述をもとに、畝傍山の東南麓の聖地に明治23年4月2日に創建した神社が橿原神宮。神武天皇は、九州の日向(ひゅうが)国の高千穂の宮から東遷し橿原の地で即位したと伝えられています。

神武天皇が造営し即位した旧跡に建つ神社

橿原神宮
橿原神宮

橿原神宮の祭神は建国の始祖とされる神武天皇と皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
本殿は安政2年(1855年)に建造された京都御所の賢所を移築したもので国の重要文化財。
文華殿は、織田家旧柳本藩邸(柳本藩=大和国式上郡・山辺郡・宇陀郡を領有した藩で藩庁は柳本陣屋)の表向御殿を移築、復元したものでこちらも国の重要文化財に指定されています。
天保15年(1845年)に建立された1万石の柳本藩邸の一部分で、藩主が家臣と対面した場所。

神楽殿も京都御所で四方拝、新嘗祭が行なわれた神嘉殿(しんかでん)を移築したもの。

玉砂利を敷き詰めた外拝殿前広場も壮麗です。
広大な神域の敷地内には森林公園や深田池などもあり、散策にも絶好の社になっています。

初詣も関西では伏見稲荷大社(京都府)、住吉大社(大阪府)、生田神社(兵庫県)、湊川神社(兵庫県)に次ぐ人出を集めています。

『日本書紀』『古事記』に記載される神武天皇
神武天皇が畝傍橿原宮を造営したという宮跡に建つ神社で、畝傍山東麓は北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮という位置関係になっています。
日本の初代天皇とされる神武天皇ですが、『日本書紀』『古事記』に記載されるその内容は、東征を含めて神話的で、歴史学的にはその実在を含めて懐疑的です。
神武天皇が即位したという辛酉の歳は、紀元前660年旧暦元旦(新暦の2月11日)、つまりは弥生時代早期ということになり、もし実在したとしても4世紀頃のはずでかなり記紀の創作部分が多いことになります。
また、神武天皇76年に127歳で崩御するという長寿に関しても疑問は残されます。
宮殿の名称は、『日本書紀』では橿原宮(かしはらのみや)、『古事記』では畝火之白檮原宮(うねびのかしはらのみや)、『万葉集』では可之波良能宇禰備乃宮(かしはらのうねびのみや)で、いずれも橿原の地とされています。
神武天皇の陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県橿原市大久保町にある畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)に治定されています。
橿原神宮
名称 橿原神宮/かしはらじんぐう
所在地 奈良県橿原市久米町934
関連HP 橿原神宮公式ホームページ
電車・バスで 近鉄橿原線橿原神宮前駅中央出口から徒歩10分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約16km
駐車場 橿原神宮駐車場(800台/有料)
問い合わせ 橿原神宮 TEL:0744-22-3271/FAX:0744-24-7720
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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2019年12月18日

 

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