金峯山寺・役行者像

金峯山寺・役行者像

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の中心、金峯山寺・蔵王堂の西、南北朝時代に南朝の皇居があった南朝妙法殿は、脳天大神龍王院からの石段が上がってくる場所。その石段455段を上りきった場所に立つのが大峯山を開いた修験道の開祖・役行者像(えんのぎょうじゃぞう)です。

役行者が修行の後、金剛蔵王権現を感得した地

役小角(えんのおづの)は、全国に開基伝説を残すスーパースターですが、実在の人。
634年(舒明天皇6年)頃、大和国葛城上郡茅原に生誕。
元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山で山岳修行を行ない、さらに熊野や大峯山で修行を重ねて吉野の金峯山で金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)を感得、修験道の基礎を築いているのです。
ゆかりの地というのは全国にありますが、その多くが、役行者のスーパースターぶりにあやかったものが多く、その活躍の原点となるのが吉野山です。
神道、仏教、道教などと習合したのが修験道で、金峯山寺は役行者が創立した修験道の根本寺院。
蔵王堂の本尊が、日本独自の仏である金剛蔵王権現で、蔵王堂の本尊が3体あるのは、蔵王権現が最初に表した姿(釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩)、つまりは過去、現在、未来を表しています。

つまり、役行者が1000日の修行の後に感得した金剛蔵王権現は、過去も現在も未来をも救ってくれる仏たちということに。
「吉野ブルー」ともいえる青い色をしているのは、金剛蔵王権現の大慈悲を表しています。

ちなみに役行者像に寄り添う鬼は、手に斧を持った鬼が前鬼(ぜんき)、水瓶を手にする鬼が後鬼(ごき)で、生駒山の暗峠(くらがりとうげ)で人の子を拐う悪いの夫婦の鬼でしたが、役行者が調伏され、従者となったと伝えられています。

金峯山寺・役行者像
名称 金峯山寺・役行者像/きんぷせんじ・えんのぎょうじゃぞう
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498金峯山寺境内
関連HP 金峯山寺公式ホームページ
電車・バスで 近鉄吉野線吉野駅から徒歩40分。または、ロープウェイ吉野山駅から徒歩10分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約34km
駐車場 下千本駐車場(100台/観桜期は有料)
問い合わせ 金峯山寺 TEL:0746−32−8371/FAX:0746−32−4563
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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