吉野朝宮跡(実城寺跡)

吉野朝宮跡(実城寺跡)

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の西側、現在は南朝妙法殿が建っている場所が、南北朝時代に南朝4代の天皇(後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)の皇居があった吉野朝宮跡(実城寺跡)。建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野山に開いた皇居の跡です。

南北朝時代、南朝の皇居はここにあった

建武3年(1336年)、建武の新政が失敗した後醍醐天皇は、幽閉されていた京・花山院(現在の京都御苑敷地内)を脱出し、皇子である護良親王が元弘の乱で籠城し、鎌倉幕府軍と戦った吉野山に逃れます。

後醍醐天皇は、吉野山に入り、まず吉水院(現在の吉水神社)に滞在して行在所としましたが、手狭であったため、蔵王堂西の実城寺を金輪王寺と改名して皇居に定めています。

正平3年・貞和4年(1348年)、四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)で楠木正行(くすのきまさつら=楠木正成の子)を打ち倒した高師直(こうのもろなお)の軍勢により吉野行宮も火を放たれ、修験道の霊地・蔵王堂とともに一面焼け野原に。
『太平記』には「此悪行身に留まらば、師直忽ちに亡びなんと、思はぬ人は無かりけり」と、高師直の非道ぶりが指摘されています(ただし、高師直は死後貶められてはいますが、優れた歌人で真如寺の再建にも尽力しています)。

それ以降の長慶天皇は、河内天野の金剛寺(大阪府河内長野市)に皇居を移しますが、再び吉野山に戻るなどしています。
南北朝統一を実現した後亀山天皇は、栄山寺(奈良県五條市)を行宮とし、吉野での執政に関しては定かでありませんが、南朝方の臣下などはその後も蔵王堂周辺を拠点としていたと推測されています。

江戸時代、徳川家康は、吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、金輪王寺の寺号を没収、実城寺に戻していますが、その実城寺も、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で廃寺となっています。

明治44年、帝国議会は三種の神器を保持した南朝を正統とする議決を行なっていますが、明治維新以降、「忠君愛国」という国家観の形成の過程で(南朝公卿の北畠親房が著した歴史書『神皇正統記』は、幕末の尊皇攘夷運動の思想的な背景に)南朝正統化が強まり、南北朝時代ではなく「吉野朝時代」と呼ばれるように。
戦後は、再び歴史学的な立場から南北朝時代と呼ばれるように戻されています。

吉野朝宮跡(実城寺跡)
名称 吉野朝宮跡(実城寺跡)/よしのちょうぐうあと(じつじょうじあと)
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498金峯山寺境内
電車・バスで 近鉄吉野線吉野駅から徒歩40分。または、ロープウェイ吉野山駅から徒歩10分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約34km
駐車場 下千本駐車場(100台/観桜期は有料)
問い合わせ 金峯山寺 TEL:0746−32−8371/FAX:0746−32−4563
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
後醍醐天皇導稲荷

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