吉野山・大橋

吉野山・大橋

奈良県吉野郡吉野町、吉野山にはかつて吉野三橋といわれる橋があり、それぞれ吉野城(吉野山全体が城郭でした)の空壕を越えるための橋でした。丈之橋(吉野水分神社近く/現存せず)、天王橋(竹林院、旅館「太鼓判」・うなぎ「太鼓判」近く)、ロープウェイ吉野山駅の近くにある大橋の3ヶ所です。

吉野山が難攻不落の城郭「吉野城」だった時代を偲ぶ橋

吉野山・大橋

吉野山は、鎌倉時代末期、後醍醐天皇の皇子・大塔宮(おおとうのみや=護良親王・もりよししんのう)が籠城戦を展開し、その後、後醍醐天皇が三種の神器を有して、南朝を樹立した地。
南朝とは、吉野山が古来、南山と称されたことから、南山の朝廷の意なのです。

護良親王の籠城戦、南朝の皇居を城郭として守ったのが大橋などの吉野三橋。
七曲り坂を登りきった先に架る大橋もかつては木橋で、いざという時にはこれを落として防御したのだと推測できますが、今ではコンクリート製に変わっています。
橋の下へと歩道が続き、空壕を確認することができます。
吉野山全体が大きな山城で、ここから山城の城内に入ることをぜひ知って入山を。

吉野山・大橋
名称 吉野山・大橋/よしのやま・おおはし
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山
電車・バスで 近鉄吉野線吉野駅から徒歩40分。または、ロープウェイ吉野山駅から徒歩5分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約34km
駐車場 下千本駐車場(100台/観桜期は有料)
問い合わせ 吉野町観光案内所 TEL:0746-39-9237/FAX:0746-39-9178
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
四本桜(大塔宮吉野城本陣跡)

四本桜(大塔宮吉野城本陣跡)

奈良県吉野郡吉野町、吉野山の金峯山寺蔵王堂の前の玉垣に囲まれた一画は、鎌倉幕府倒幕の元弘の乱で大塔宮(おおとうのみや=護良親王・もりよししんのう/後醍醐天皇の皇子)が蔵王堂を本陣として山上の城塞化を押し進めた吉野城本陣の跡。大塔宮(護良親王

 

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