飛鳥川原宮跡

飛鳥川原宮跡

『日本書紀』には、斉明天皇元年(655年)の冬、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや/現・奈良県明日香村岡にあった飛鳥京の皇居)が火災に遭ったため、斉明天皇は飛鳥川原宮へ遷ったと記されており、その飛鳥川原宮跡と推測されるのが奈良県明日香村川原にある川原寺(弘福寺)周辺。

岡本宮に遷都されるまでの皇居があった地

すぐに岡本宮(おかもとのみや)に遷都しているため、川原宮があったのはわずか1年未満のこと。
川原宮で並行して宮殿建設地の選定をしているので、あくまで仮宮的な存在だったことがわかります。
斉明天皇は、舒明天皇(じょめいてんのう=政治の実権は蘇我蝦夷が握っていました)の皇后で、舒明天皇の没後、皇極天皇として即位し、飛鳥板蓋宮に皇居を構えます。
飛鳥板蓋宮で蘇我蝦夷が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌子(藤原鎌足)らに暗殺されると(乙巳の変)、皇極天皇は中大兄皇子(後の天智天皇)に位を譲ろうとしますが、中大兄皇子は辞退して、軽皇子を推薦し、孝徳天皇として即位。

その孝徳天皇は、難波宮(なにわのみや=難波長柄豊崎宮)に遷都しますが、ここで崩御し、皇極上皇が重祚(再度天皇になること)して斉明天皇(さいめいてんのう)となり、都を再び飛鳥板蓋宮に戻しています。
その飛鳥板蓋宮が火事になったため、新しい都を探す間、皇居としたのが川原宮です。

なぜ、飛鳥岡本宮に遷ったのかといえば斉明天皇が舒明天皇の皇后だった時代の皇居があったのが飛鳥岡本宮だったから。

ちなみに、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、そして天武天皇の飛鳥浄御原宮は、すべて現在の奈良県高市郡明日香村岡にある飛鳥京跡にあったと推測されています。

名称 飛鳥川原宮跡/あすかかわらのみやあと
所在地 奈良県高市郡明日香村川原1109
電車・バスで 橿原神宮前駅からバスで35分、川原下車
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約21km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
飛鳥板蓋宮跡

飛鳥板蓋宮跡(飛鳥京跡)

奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったと推測される皇居の跡が飛鳥板蓋宮跡(あすかいたぶきのみやあと)。皇極天皇元年(642年)1月、女帝・皇極天皇は夫・舒明天皇(じょめいてんのう)の百済宮での崩御により即位し、9月19日、蘇我蝦夷(そがのえ

 

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