奈良県高市郡明日香村にある国の史跡に指定される八角墳が、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。平成21年〜平成22年の発掘調査で、古墳時代終末期(飛鳥時代)の八角墳であることが判明。飛鳥京を築いた第37代斉明天皇(第35代皇極天皇)の陵の可能性が高まり、世界遺産を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産にもなっています。
斉明天皇と間人皇女の合同墓は、東アジアで他に例を見ない墳墓
岩屋山古墳の西500m、橿原市との境に近い丘陵先端部に位置する古墳が、牽牛子塚古墳。
特異なフォルムの八角墳という形状は、中国の宇宙観に基づきながら、天皇を頂点とした中央集権国家の確立を目指した日本独自もので、方墳に代わって登場しています。
牽牛子(けんごし)とはアサガオのこと。
多角形の墳丘が、アサガオの花びらに似ていたことから、かつて「あさがお塚」とも呼ばれていたのです。
7世紀後半に築かれたとされる終末期古墳で、墳丘は対辺長22m、高さは4.5m以上あります。
東アジアで他に例を見ない墳墓で、律令制開始以降の「天皇陵を頂点とする新たな権威」の象徴となったものとしても貴重です。
埋葬施設の横口式石槨(よこぐちしきせっかく=石棺式石室)の中央には仕切りがあり、2つの棺が置かれていたと推測されています。
2つの棺とは、斉明天皇、その娘・間人皇女(はしひとのひめみこ=孝徳天皇の皇后)で、ふたりの合葬墓ということに。
ただし宮内庁は、斉明天皇・間人皇女の陵墓を高取町の車木ケンノウ古墳を越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に治定しています。
「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の世界遺産登録を目指す明日香村は、隣接する越塚御門古墳と一体整備し、築造当時の姿への復元工事を行ない、令和4年3月に完成。
明日香村には、文武天皇陵である可能性が高まった中尾山古墳と、天武天皇とその妻の持統天皇の合葬墓とされる野口王墓(天武・持統天皇陵)もあり、いずれも飛鳥時代の天皇陵を表す八角墳となっています。
牽牛子塚古墳 | |
名称 | 牽牛子塚古墳/けんごしづかこふん |
所在地 | 奈良県高市郡明日香村越131 |
関連HP | 明日香村公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄飛鳥駅から徒歩10分 |
問い合わせ | 明日香村教育委員会 TEL:0744-54-3636 |
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