毎年5月3日、滋賀県米原市の筑摩神社(ちくまじんじゃ)で『鍋冠まつり』(なべかぶりまつり)が行なわれます。筑摩地区は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨(みくりや=神饌を調進するための領地)が置かれた地。筑摩神社の春の例祭『鍋冠まつり』は、近江を代表する奇祭で、米原市無形民俗文化財に指定。
数え年8つの少女が狩衣に鍋をかぶって行進
数え年8つの少女8人が、狩衣(かりぎぬ)姿に張子の鍋をかぶって、約300名の行列とともにお旅所から神社まで1kmほどを渡御します。
例年14:00頃に筑摩の御旅所を行列が出発し、15:30頃〜16:00頃に筑摩神社の本殿に参進します。
『鍋冠まつり』の起こりついては諸説ありますが、筑摩神社の祭神が食物の神・御食津神(うかもみたま)であること、当地の御厨から神前に作物、魚介類などを供えるとともに、特産であった鍋を贖物(罪のあがないとして出す物)としたことが、原初の姿ではないかと推測されています。
かつては貞操を守らせるための祭りだった!?
当初は、過去には鍋冠りは数え年8つの少女ではなく15歳未満の少女で、それまでに交際(関係)した男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があり(貞操を守らせるため)、『伊勢物語』にも「近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋の数見む」(第120段)と詠われるほど有名でした。
さらに「若しその中に犯淫の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」(筑摩神社『筑摩大神之紀』)とも。
江戸時代に、少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ笑いものにされたことで自殺するという事件が生まれ、藩主の井伊家が断絶を通告。
その後、数え年8歳ならという事で継承したという歴史を有しているのです。
さらに「若しその中に犯淫の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」(筑摩神社『筑摩大神之紀』)とも。
江戸時代に、少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ笑いものにされたことで自殺するという事件が生まれ、藩主の井伊家が断絶を通告。
その後、数え年8歳ならという事で継承したという歴史を有しているのです。
筑摩神社『鍋冠まつり』|米原市 | |
開催日時 | 毎年5月3日 |
所在地 | 滋賀県米原市朝妻筑摩 |
場所 | 筑摩神社 |
関連HP | 米原市公式ホームページ |
電車・バスで | JR米原駅から徒歩30分。または、タクシーで5分 |
ドライブで | 北陸自動車道米原ICから約6km |
駐車場 | なし/蓮原農村公園駐車場などを利用 |
問い合わせ | 伊吹庁舎経済環境部商工観光課 TEL:0749-58-2227/FAX:0749-58-1197 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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