【なかもりトピックス】vol.6 水郷蘇州・古鎮散策

思いがけなく蘇州(そしゅう)を訪ねる機会を得て羽田から中国東方航空で約3時間。到着した上海・浦東国際空港から高速バスで西60kmの蘇州市へ向った。蘇州と聞くとシニア世代の中には、『蘇州夜曲』(西条八十作詩、服部良一作曲)を思い出す人がいるかも知れない。

連なる白壁黒瓦の商家群、運河の水面に映える夜景

▲古鎮・周荘の運河沿いのライトアップ風景。
行き交う遊覧用の小舟から歌声が聞こえてくる。
(酒店の2階窓から撮影)

『蘇州夜曲』は、1940年、日中事変のさなかに発表された名曲で戦後も歌い継がれた。
高速バスの中で案内役、蘇州大学日本語学科卒業の朱鳳興さんに
「禁止曲かも知れませんが知っていますか?」と訊くと、
「愛唱されていますよ。こんな歌です」
とマイクを握り“君がみ胸に抱かれて~” と歌い出したのには驚かされた。
聴きながら、はたして歌の文句が似合う水郷古都なのかと心をときめかせた。

城郭内の旧市街に24の古鎮、城郭外は発展するハイテク産業

▲古都蘇州の伝統代表格は「茶道」、「昆曲」、「香道」。
いづれも呉の時代から脈々として受け継がれた。
日本の京都人と似て蘇州人の誇り、品格、暮らしの規律を感じさせる。

現在の蘇州市は広島県とほぼ同じ広さ、旧城郭に囲まれた世界文化遺産認定の古い街(古鎮)を中心に外側の東地区はハイテク産業ゾーン。
西地区は工業団地ゾーンが広がり人口1000万人の大都市(60%は各地からの出稼ぎ市民)となった。

旧城郭は紀元前4世紀頃の呉の国から大河長江の水を引き入れた網目模様の運河建設が進み、以来、歴代王朝の手で西安、北京を運河で結ぶ水運都市として繁栄した。
特産の高級絹織物は奈良朝時代の日本にも渡り珍重されたという。

運河沿いには王朝の財政を支えた豪商たちの屋敷跡や昆曲の演奏会場(京劇と異なる蘇州伝統芸術)、役所跡の白壁黒瓦の風情が遺され、眺めているだけで気分が癒される。
黄昏になると提灯に灯が入り運河の水面に浮き出され幻想の世界と変わる。

▲古鎮・周荘の夜景や水上歌舞劇を求めて中国各地から観光客が絶えない。
花火と水辺の祭りイベントが四季ごとに行われている。

明清時代に栄えた古鎮へ年間3000万人の観光客が来訪

▲左から=蘇州の遺跡「虎丘の斜塔」
(雲岩寺塔・宋代に建てられたが地盤沈下で4度傾いたため別名「東洋の斜塔」と名付けられた)。
蘇州の小運河沿いに白壁、黒瓦の商家が並ぶ。

狭い路地の両側には櫛店、茶屋、菓子店、絹布の店、さらに揮毫を書く書家と一緒に占い机に座る女性?の店など軒を連ね、通りすがりの客と店主のやり取りが笑顔で交わされる。

時折、きりりとした目鼻立ちの蘇州美人にはっとさせられる。
上品でもの柔らかな蘇州方言は「(きつめの)北京語とは違います」と朱さんの説明だった。

住宅地の路地では古鎮の住人たちが縁台に座りおっとりとキセル煙草をふかし碁盤を囲む姿。
近代化の進む世間に背を向けて昔からの暮しスタイルを続け、誇りに感じているように見えた。

宿は古鎮・周荘に隣接する趣のある小さなホテル。
ロビーには毛筆に水を含ませて特殊な紙に書くと文字が浮き上がり乾くと消える中国式の習字コーナーがあり、ひさしぶりに筆を握りぎこちなく挑戦してみる。
1泊朝食付きで4500円、客室の窓から見えた深緑の木立が見事だった。

翌朝、宿近くの平江路の鈴懸( プラタナス)の並木道を散策する。
無料開放の東園では老人たちが備えつけのスポーツ遊具で肢体を躍動させていた。

掲載の記事は、ジャーナリスト・中森康友氏(日本旅行作家協会会員)の配信するメルマガ『なかもりトピックス』を転載したものです。

蘇州市観光局公式ホームページ

 

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ABOUTこの記事をかいた人。

中森 康友

ジャーナリスト、もとスポーツニッポン新聞社編集委員。内外メディア通信社ライター、日本旅行作家協会会員、ラジオ・テレビ・レジャー記者会会員、薩摩大使(鹿児島県)、美ら島沖縄大使、富山ふるさと大使。メールマガジン版「なかもりトピックス」を配信中。

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