【なかもりトピックス】vol.1 深山幽谷の禅寺「大陽寺」を訪ねる

人づてに古くから女人禁制を解かれた「東国の女人高野山」と言われた秩父の深山があると聞いていた。そこは東京・奥多摩の境目、奥秩父の標高850mの山中。ひっそり建っている禅寺「大陽寺」を目指す女性たちが今も絶えないという。今回の『なかもりトピックス』は、そんな秩父の禅寺「大陽寺」をルポ。

女人禁制を解かれ江戸期から「駆け込み寺」の伝承

曲がりくねった樹間の狭い山道を上がるには「小型の四輪駆動車でなければ無理ですね」と案内人の言葉。
普段は山麓のバス停から険しい参道を約7km。
徒歩で2時間余りかけパワースポットの寺へ我慢の行程となる。

▲標高850m、人家を遠ざけた奥秩父の深山に「天空の寺」がぽつんとある。
密林を分け入り、小さな庵を立て念仏を唱えた開祖・鬚僧大師の伝説が息づいている。

江戸時代には悩める女性たちを救う駆け込み寺となり、幕府の天領寺として栄えた時期もあった。
そのせいか現在も太陽寺を訪ねる人の70%は30~50代の女性という。

しばらく無人だった荒れ寺を15年前、脱サラの住職、浅見宗達さん(54)が手入れを続け倒壊を防いだ。
10年前から宿坊に泊まって修行体験を始めたところ希望者が合い次いだ。

「早暁に起きて本堂周りの散策、座禅を組み、写経、満天の星空観察など。都会の喧騒を忘れて癒されると喜ばれています」。

朝夕には住職手作りの精進料理を楽しめる。
さらにウイットに富んだ講話が人気で、何度も足を運ぶ常連も少なくない。

▲掲げられた扁額に金文字で「大陽寺」の揮毫が躍る。幕末に改築された茅葺屋根の講堂に威厳が漂う。
修行体験に参加する人びとの寝起き、食事処となる。
▲開祖・鬚僧大師(ひげそうだいし)の険しい修行の姿が
大天狗の形相に見立てられ掲げられていた。
        
寺の開祖は鎌倉末期の正和2年(1313年)、後嵯峨天皇の第3皇子、仏国国師(通称鬚僧大師)と武州風土記にある。
都の政争を嫌い落ち延びた若き皇子が断崖にはりついたほこらにこもり、ひたすら祈った凄みの姿が天狗に間違われたことも。訪ねた開山堂に祀られた国師の肖像は、修羅の天狗面だった。
▲彫りの細かい今にも天空へ飛び上がりそうな龍の彫り物。
「左甚五郎」の遺作だったら天下の新発見なのだが。
ひとり身の浅見住職(右)の日課は忙しい。
    
「寺のお宝」と見せられたのは龍の彫り物。
江戸期に計画された講堂建立がとん挫となり、欄間を飾るはずだった彫り物が寺庫に。
「左甚五郎の手彫りといわれてます。いつか飾る建物を」
と神妙に説明するご住職。
時間がたつと次第に名勝の寺に魅せられてしまった。

掲載の記事は ジャーナリスト・中森康友氏 (日本旅行作家協会会員)の配信するメルマガ『なかもりトピックス』を転載したものです。

大陽寺 DATA

名称 大陽寺/たいようじ
所在地 埼玉県秩父市大滝459
関連HP 大陽寺公式ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道三峰口駅からタクシーで35分
宿泊の場合は、三峰口駅から大陽寺まで送迎あり(要予約)
ドライブで 関越自動車花園ICから約48km
駐車場 20台/有料
問い合わせ 大陽寺 TEL:0494-54-0296
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
  

 

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ジャーナリスト、もとスポーツニッポン新聞社編集委員。内外メディア通信社ライター、日本旅行作家協会会員、ラジオ・テレビ・レジャー記者会会員、薩摩大使(鹿児島県)、美ら島沖縄大使、富山ふるさと大使。メールマガジン版「なかもりトピックス」を配信中。

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