【国宝5天守】 なぜ国宝は5天守だけ!?

国宝5天守

日本には、戦国時代末から江戸時代に建築された天守が、12ヶ所残されていますが、そのうち、国宝に指定されるのは、犬山城(愛知県犬山市)、松本城(長野県松本市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、そして松江城(島根県松江市)です。現存12天守のうち、この5天守は「なぜ、国宝なのか!?」を取材しました。

松江城の国宝指定で学ぶ、国宝の価値

国宝5天守のうち、松江城は50年以上にわたる「重要文化財の時代」がありました。
その松江城に、「国宝の国宝たるゆえん」が隠されていたのです。

昭和10年5月、松江城の天守は国宝に指定されました(戦前の国宝は、現在の重要文化財にあたります)。
しかしながら、昭和25年5月の文化財保護法の制定によって国宝指定の基準が変わり、松江城の天守は残念ながら重要文化財に。

文化財保護法制定直後に、松江城では昭和の解体修理が行なわれ、昭和26年に松江市が国に国宝指定の陳情を。
さらに解体工事終了後の昭和30年3月に松江市が国に再度の国宝指定の陳情を実施しています。
昭和34年には松江市議会による「国宝指定の促進の決議」が行なわれ、三度目の正直となる国宝陳情が。
陳情の度に国からは「新たな発見が必要」と回答されているのです。
この「新たな発見」が松江城にとってのキーワードです。

時は平成と変わり、50年以上もたった平成21年、松江市では「松江城を国宝にする松江市議会議員連盟」、「松江城を国宝にする市民の会」と官民一体となった国宝化の運動が始まります。
「松江城を国宝にする市民の会」は12万の署名を集めて文化庁に熱意を示しますが、文化庁長官からの回答は、「新たな知見が必要」と、これまで通りのツレナイ回答です。

松江城では、実は昭和12年の天守の実測調査で、天守4階に2枚の祈祷札があり、1枚には「慶長16年」と記されていたことが記録されていました。
あったはずの「創建年を明らかにする祈祷札」が失われていることが、ここにきてようやく判明したのです。

平成24年5月の松江市史料編纂室による棟札類の調査で、ついにその祈祷札(慶長16年正月吉祥日)が松江神社に保管されていることが判明。
さらに松江城の柱1本1本にある釘穴やシミの位置などが、祈祷札と合致することも証明されたのです。

「平成27年に松江城の天守が国宝に返り咲いた一番の理由は、2枚の祈祷札が発見されて、それが確かに松江城のものであることが立証できたことで、天守の建築年代が特定できたことが大きかったのです」とは、松江城関係者の話。

つまりはこの祈祷札こそが、文化庁が要求した「新たな発見」、「新たな知見」(建築年代の裏付け史料)ということになるのです。
誰(城主)が、いつ(年代)築城したのかが証明できる史料があったから、国宝に返り咲いたというわけなのです。

というわけで、国宝という高いハードルを乗り越えた「国宝5城」をまずは攻略していきましょう!

国宝5天守

国宝犬山城

織田信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式

所在地:愛知県犬山市犬山北古券65-2
旧国名:尾張国(おわりのくに)
旧藩名:犬山藩
築城年:創建は不詳、元和3年(1617年)大改修
大きさ:3重4階
文化財指定:国宝
来歴:昭和10年、国宝に、昭和27年3月29日、文化財保護法に基づき国宝に
概要:築城当初は2層式の天守だったと推測されていますが、文禄4年(1596年)、豊臣秀吉配下の石川貞清(いしかわさだきよ)が城主となった際に、改築
天守最上階の高欄の間からは濃尾平野はもちろん遠く木曽の御嶽山まで眺望

国宝犬山城

姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕・愛宕神社)から城郭

英泉の浮世絵&古地図で知る 犬山城

木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城。松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝5天守のひとつで、築かれた年代は最古級という天守です。木曽川を隔てた対岸は中山道の鵜沼宿(うぬましゅく)で、濃尾平野北端の交通の要衝に位置していたことがわかります。

国宝松本城

標高590mと現存天守としては日本最高所に建つ

所在地:長野県松本市丸の内4-1
旧国名:信濃国(しなののくに)
旧藩名:松本藩
築城年:文禄3年(1594年)着工、慶長2年(1597年)竣工/諸説あり定かでありません
大きさ:5重6階
文化財指定:国宝
来歴:昭和11年4月20日、天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法で国宝に指定、昭和27年3月29日、文化財保護法であらためて国宝に指定
概要:5層天守としては日本最古の城で、随所に実戦的な仕掛けが
天守最上階からは北アルプスを眺望

国宝松本城

5層天守閣としては日本最古の城。築城は1504(永生元)年ですが、5層天守閣となったのは1593〜1594(文禄2〜3)年のこと。鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所も設けられ、実戦を意識した設計であることがよくわかります。本丸、二の丸一

国宝彦根城

時代劇のロケにしばしば使われる名城


所在地:滋賀県彦根市金亀町3-40
旧国名:近江国(おうみのくに)
旧藩名:彦根藩
築城年:元和8年(1622年)竣工
大きさ:3重3階
文化財指定:国宝
来歴:昭和26年、天守など6棟が重要文化財に
昭和27年、天守、附櫓、多聞櫓が国宝に
概要:彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』には、「天守は京極家の大津城の殿守也」とることから、大津城(大津市)の天守を移築したのではないかと推測されています
実戦的な備えがされた近世的な城郭となっていますが、豊臣家の滅亡後は、天守ですら倉庫として活用

彦根城

彦根城

彦根城(滋賀県彦根市)は、姫路城などとともに国宝5天守の一つに数えられる名城で、約20年の歳月をかけて元和8年(1622年)頃に完成をみた彦根藩井伊家35万石の居城です。琵琶湖八景「月明・彦根の古城」に数えられるほど優美な姿を見せる天守は、

彦根城・天守

彦根城・天守

彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守となっていますが、北西

国宝姫路城

現存する天守のなかで最大の規模を誇る

所在地:兵庫県姫路市本町68
旧国名:播磨国(はりまのくに)
旧藩名:姫路藩
築城年:慶長14年(1609年)竣工
大きさ:5重6階
文化財指定:国宝
来歴:昭和6年1月、天守など8棟が国宝に
昭和26年、天守など国宝に
概要:日本三大平山城、日本三大連立式平山城
現存する天守のなかで最大の規模を誇り、大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)、さらに天守を結ぶ2重の渡櫓のすべてが国宝
大天守の階段は最上部では51.5度という急階段で、敵兵の進軍を阻む仕掛け(日常生活に天守が使われなかったことは明らか)

姫路城

日本の近世城郭のなかでも、築城当時の姿を残す唯一の存在といわれる姫路城。歴史は古く、1333(元弘3)年、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり。羽柴秀吉により、さらに池田輝政が現在の城郭を建築しました。天守群は国宝に、そし

姫路城・天守

世界文化遺産に登録される姫路城のシンボル的な存在が天守丸にそびえる連立した天守群。国内に現存する12の現存天守の一つが姫路城の天守。しかも現存する天守のなかで最大の規模を誇り、大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)、さらに

国宝松江城

石落としや鉄砲狭間など、桃山期の実戦的な様式を残

所在地:島根県松江市殿町1-5
旧国名:出雲国(いずものくに)
旧藩名:松江藩
築城年:慶長16年(1611)竣工
大きさ:4重5階
文化財指定:国宝
来歴:昭和10年、国宝に
昭和25年、文化財保護法の施行に伴い、天守は重要文化財に
平成27年7月8日、天守が再び国宝に
概要:屋根にのった木彫り青銅張りの鯱(しゃちほこ)は、高さ2mもあり、現存する木造の鯱では日本で最大
江戸時代初期の『正保城絵図』と見比べると、多くの相違点があり、元文3年(1738年)〜寛保3年(1743年)に大改修したことがわかります

松江城(城山公園)

松江城(城山公園)

慶長16年(1611年)、信長・秀吉・家康に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城した城。関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張りしたのです。松江城の

松江城・国宝天守

松江城・国宝天守

松江城の天守は、全国に現存する12天守のひとつで、国内に5つしかない国宝天守のひとつ。慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成したもの。12天守のうち、天守閣の大きさ(平面規模)では2番目、高さ(約30m)では3番目、古さ

松江城天守閣が国宝に!

文化庁の文化審議会文化財分科会は、平成27年5月15日(金)、松江城天守(島根県松江市)を新たに国宝に指定するよう文部科学大臣に答申しました。これまで国宝天守は、世界文化遺産登録の姫路城を筆頭に、松本城、犬山城、彦根城の4つ。つまり松江城は

【国宝5天守】 なぜ国宝は5天守だけ!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
国宝12天守

現存12天守に登城しよう!

現在、国内に戦国末期から江戸時代の木造天守が残るのは12ヶ所。「現存12天守」と呼ばれています。北から、弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城で、四国

全国に現存する三重櫓 12基

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