姫川の支流・小滝川に、標高1182mの明星山が落ち込んでできた小滝川ヒスイ峡。切り立った峡谷にはヒスイの岩塊が転がっており、国の天然記念物にも指定、保護されています。小滝川は日本で最初にヒスイの原石・硬玉の産出が確認されたところで、隣接の青海川上流とともに、縄文中期以降の遺跡から発掘された硬玉原産地と推定されています。
小滝川ヒスイ峡展望台をまずは目指そう
明星山は、3億年前のサンゴ礁が移動してできた石灰岩の山。小滝川ヒスイ峡から見上げる明星山南壁は450mの岩壁でロッククライマー上級者たちがアタックしています。
小滝川ヒスイ峡は、糸魚川を代表するヒスイの産地で、天然記念物「小滝川硬玉産地」に指定(硬玉=ヒスイ輝石)。
昭和初期までは日本各地の古代遺跡から出土するヒスイ製品は外国製のヒスイと考えられていましたが、昭和13年、日本で初めて小滝川でヒスイが発見。
それによって、国内で出土するヒスイ製品はすべて小滝川産だとコペルニクス的な転回があったのです。
見学にあたっては河川の急な増水に注意。また小滝川の澄んだ河床に硬石原石が点在しますが、採石は厳禁。
小滝川ヒスイ峡へは林道入山線を利用しますが、荒天などの場合には通行止めに。
その場合は、高浪の池を経由して、ヒスイ峡展望台から眺望することになります。
周辺には明治時代から昭和26年まで石炭を採掘した小滝炭鉱跡、渓流管理釣り場のヒスイ峡フィッシングパーク、赤禿山の地すべりでできた高浪の池があります。
一帯は糸魚川ユネスコ世界ジオパークの「小滝川ヒスイ峡ジオサイト」にもなっています。
相馬御風の推測がヒスイ発見のきっかけ!?
昭和13年、詩人・歌人・評論家の相馬御風(そうまぎょふう)氏が、古代に奴奈川姫(ぬなかわひめ)がヒスイの勾玉をつけていたという伝説から、糸魚川でヒスイを産したのかもと推測。その話を聞いた知人・鎌上竹雄氏(元糸魚川警察署長・姫川支流大所発電所勤務)は娘の義父で小滝村(現在の糸魚川市小滝)に住む伊藤栄蔵氏に伝えたところ、伊藤氏は2回目の探査で小滝川に注ぐ土倉沢の滝壺で緑色のきれいない石を発見。この石を東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室・河野義禮先生に送ったところ、ヒスイだと判明。
昭和14年7月に河野義禮の現地調査によって、小滝川の河原にヒスイの岩塊が多数あることが確認されたのです(河野義禮『本邦に於ける翡翠の新産出及び其化學性質』)。
ちなみに相馬御風は、早稲田大学校歌「都の西北」の作詞者としても知られています。
昭和13年、詩人・歌人・評論家の相馬御風(そうまぎょふう)氏が、古代に奴奈川姫(ぬなかわひめ)がヒスイの勾玉をつけていたという伝説から、糸魚川でヒスイを産したのかもと推測。その話を聞いた知人・鎌上竹雄氏(元糸魚川警察署長・姫川支流大所発電所勤務)は娘の義父で小滝村(現在の糸魚川市小滝)に住む伊藤栄蔵氏に伝えたところ、伊藤氏は2回目の探査で小滝川に注ぐ土倉沢の滝壺で緑色のきれいない石を発見。この石を東北大学理学部岩石鉱物鉱床学教室・河野義禮先生に送ったところ、ヒスイだと判明。
昭和14年7月に河野義禮の現地調査によって、小滝川の河原にヒスイの岩塊が多数あることが確認されたのです(河野義禮『本邦に於ける翡翠の新産出及び其化學性質』)。
ちなみに相馬御風は、早稲田大学校歌「都の西北」の作詞者としても知られています。
小滝川ヒスイ峡 | |
名称 | 小滝川ヒスイ峡/こたきがわひすいきょう |
所在地 | 新潟県糸魚川市小滝 |
休業 | 積雪期は通行不可 |
関連HP | 糸魚川観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR小滝駅からタクシーで30分 |
ドライブで | 北陸自動車道糸魚川ICから約16km |
駐車場 | 展望台駐車場(20台/無料) |
問い合わせ | 糸魚川市観光協会 TEL:025-552-1742 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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