長谷川酒造

長谷川酒造

新潟県長岡市南郊の摂田屋(せったや)地区、諏訪神社近くにある酒蔵が長谷川酒造。創業は江戸時代末期の天保13年(1842年)。先祖は戦国時代に信州から当地に移り住んで、開墾。古くは「信州屋」(屋号)と呼ばれ、初代の重吉が天保の大飢饉の折、蔵王神社の御神酒造りと称して酒造りの許可を得たという老舗の酒蔵です。

昔ながらの手造りによる伝統の酒造りで銘酒が醸される!

建物も趣きがあり、明治19年築造の主屋(国の踏力有形文化財)、大正8年に建てられた仕込蔵と土蔵造りの醸造蔵、大正12年建築のレンガ造りの麹室が建ち並んでいます。
蔵の西側には、信州・諏訪大社から勧請されたというお諏訪さまが祭祀。

これら昔ながらの建物をそのまま利用し、「地釜」による蒸米、麹室での麹作り、小タンクによる「寒仕込み」など、徹底した手作業による酒造りが今も行なわれています。

原料となる米は、契約農家による酒造好適米「契約栽培米 越淡麗」と「山田錦」や「五百万石」などを酒の個性に合わせて使い分け。
事前に予約すれば、蔵元直売も可能で、試飲スペースでは主力の「越後雪紅梅」をはじめとする、各種地酒を味わえます(建物の見学は主屋のみ)。

長谷川酒造
名称長谷川酒造/はせがわしゅぞう
所在地新潟県長岡市摂田屋2-7-28
関連HP長谷川酒造公式ホームページ
電車・バスでJR宮内駅から徒歩12分
ドライブで関越自動車道長岡ICから約9.9km。または、長岡南越路スマートICから約7.3km。北陸自動車道中之島見附ICから約14.7km
駐車場あり/無料
問い合わせ長谷川酒造 TEL:0258-32-0270/FAX:0258-35-6066
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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