坂口安吾文学碑(護国神社)

坂口安吾文学碑(護国神社)

小説家、評論家、随筆家の坂口安吾(さかぐちあんご)は、明治39年10月20日、新潟県新潟市西大畑通28番戸(現・中央区西大畑町579)に生誕。坂口家はもともとは大富豪でしたが、明治以降に没落。それでも父は衆議院議員という家柄。昭和32年に新潟の護国神社境内の砂丘上に、「ふるさとは語ることなし」の詩碑が建立されています。

寄居浜の砂丘に巨大な詩碑が立っている!

砂丘の松林に置かれる詩碑は、寄居浜安吾碑と呼ばれるもので、尾崎士郎、壇一雄らが発起人となって昭和32年6月に建立。
砂丘を少し下った西大畑町で坂口安吾は生まれています(新潟大神宮の参道に「安吾生誕碑」が立っています)。

碑文の「ふるさとは語ることなし」は、地元の放送局の丸山一に贈られた色紙の言葉。
色紙は3枚あって、順に、
「雪も新潟の 雪は変に親切 すぎる」 
「コタツはガサツで 親切すぎてイヤなものだが あたらぬわけにもいかぬ 悲しい新潟」
そして、「ふるさとは 語ることなし」。 

3枚の色紙から「ふるさとは 語ることなし」を選んだのは檀一雄だとか。
この言葉の意味に関しても、さまざまな解釈がなされてきました。

「中学校をどうしても休んで海の松林でひっくりかえって空を眺めて暮さねばならなくなってから、私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。」(坂口安吾『石の思い』)とあるので、この詩碑の配されたシチュエーションは、まさに安吾好みかもしれません。

本名は安吾ではなく、丙午(ひのえうま)年生まれの五男ということで炳五(へいご)です。
新潟中学時代、学校をサボってばかりいる炳五に対し、漢文の先生が「炳というのは、アキラカという意味だが、お前は己に暗い暗五だ」といったのをペンネームにしてしまったのだとか。

東京に出て、東洋大学印度哲学倫理学科第二科(現・インド哲学科)に入学して以降も、大井町、池袋など東京を転々として暮らし、多くの作品を残しています。
晩年は静岡県伊東市で療養生活の後、群馬県桐生市に転居し、昭和30年2月17日、桐生市で没しています。
墓は故郷の新潟県新津市大安寺(現・新潟市秋葉区大安寺)の坂口家墓所。

ちなみに、「ふるさとは語ることなし」という言葉に関して、坂口安吾の長男、そしてカメラマンで、エッセイストでもある坂口綱男(さかぐちつなお)は、「父は思春期に新潟の実家に背を向け文学の道に進んだ事もあり、この碑文をふるさとに対しての否定であると言う向きもあるが、その言葉を残したのが安吾だからと言ってそうヒネクレる必要もないと思う」と記しています(坂口安吾デジタルミュージアム)。
 

坂口安吾文学碑(護国神社) DATA

名称 坂口安吾文学碑(護国神社)/さかぐちあんごぶんがくひ(ごこくじんじゃ)
所在地 新潟県新潟市中央区西船見町5932-300
関連HP 護國神社公式ホームページ
電車・バスで JR越後線白山駅から徒歩25分
ドライブで 新潟中央IC
駐車場 200台/無料
問い合わせ TEL:025-229-4345/FAX:025-229-0554
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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