新潟県妙高市にある中世の山城の跡が鮫ヶ尾城(さめがおじょう)。16世紀後半の築城され、北国街道を睨んだ上杉氏の春日山城の前線守備的な城で、上杉氏が堅牢な城に改変しています。国の史跡に指定され、続日本100名城に選定されています。
御館の乱の終焉の地で、上杉景虎ファンの聖地
16世紀の後半、春日山城の前衛として普請された頸城地方最大の支城。
武田信玄の信濃進出による信越国境の軍事的緊張から、16世紀半ばから後半に、春日山城防御の前線として強化されたもので、まさに戦国時代の山城です。
天正6年3月13日(1578年4月19日)、上杉謙信が没すると、上杉家では家督相続で御館の乱(おたてのらん)が勃発。
ともに上杉謙信の養子の上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)の間の戦いで、時の鮫ヶ尾城主・堀江宗親(ほりえむねちか)は上杉景虎側に付き、景虎を相模(さがみ=神奈川県)に逃そうと城内に入れますが、安田顕元(やすだあきもと)の裏切りで落城し、景虎も自刃しています。
城内には竪堀、土塁、郭(くるわ)、掘立柱建物跡などが現存。
主郭跡からは頸城平野(くびきへいや)、日本海を眺望します。
斐太歴史の里(斐太県民休養地)の駐車場に車を入れ、登城するのが一般的。
後世の里道を利用した遊歩道が整備され、主郭まで到達可能(本来の登城路は尾根沿いの東登城道、南登城路)。
斐太歴史の里管理棟に出土品の一部が展示されています。
カタクリの群生地でもあり、4月になるとカタクリの花が東登山道、二ノ郭跡、三ノ丸郭などに咲き誇ります。
鮫ヶ尾城 | |
名称 | 鮫ヶ尾城/さめがおじょう |
所在地 | 新潟県妙高市宮内城山 |
関連HP | 妙高市公式ホームページ |
ドライブで | 上信越自動車道新井スマートICから約4km |
駐車場 | 斐太歴史の里駐車場を利用 |
問い合わせ | 妙高市生涯学習課 文化振興係 TEL:0255-74-0035/FAX:0255-72-3902 |
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