長崎県長崎市のグラバー園に移築保存される旧オルト住宅は、開港直後の慶応元年(1865年)頃、イギリス人設計で大浦天主堂を建築した小山秀之進が施工したという、高い天井を支えているタスカン様式の列柱が印象的な建物。イギリス人貿易商ウィリアム・ジョン・オルトが南山手14番地に建てた邸宅で、国の重要文化財に指定されています。
明治初期のイギリス人貿易商の邸宅を見学
木骨石造り、平屋建て、寄棟造り桟瓦葺きの住宅。
三方にタスカン式の石造円柱の吹き放しのベランダが設られ、中央に切妻屋根のポーチが突出する噴水の付いた車寄せを有しています。
幕末・明治初期に長崎に建てられた洋風建築物のなかで、現存する最大規模の住宅です。
アイルランド出身のウィリアム・ジョン・オルト(William John Alt)は、12歳で貿易商の商船のオフィサー(高級船員)となり、航海中に船内の図書室で勉学に励み、1859年から中国の英国税関に勤務。
開国(長崎開港)後、いち早く貿易商として長崎を訪れ、オルト商会を設立、九州一円から生茶を買い求め、茶の輸出や製茶業などを営みました(幕末から明治時代は茶が重要な輸出物産でした)。
坂本龍馬が『船中八策』を記したといわれる鉄製蒸気スクリュー船「夕顔丸」(イギリス船籍Shooeyleen/朱林)を土佐藩に売ったのもオルトで、新政府の設立を助けるなど勤王派に傾倒する点ではかなりの先見の明があったと推測できます。
『岩崎弥太郎日記』によれば慶応3年5月22日(1867年6月24日)夜、岩崎弥太郎、後藤象二郎、坂本龍馬はオルト邸にオルトを訪れ、イギリス提督と会って盃を交わしたと記されています。
この坂本龍馬も訪れたオルト邸がグラバー園に現存する旧オルト住宅ということに。
邸内には、家具、食器、花瓶、鏡、燭台など当時の生活用品が、ほぼ往時のままに残されています。
「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」。
オルトの妻エリザベスは、後の回想録に長崎の印象をこう書き残しています。
オルトの健康がすぐれないため、明治3年にオルト一家は日本を離れ、明治12年12月創立の活水女学校の仮校舎、アメリカ領事館としても使用され、その後、明治26年からフレデリック・リンガーの長男、フレデリック・エラスマス・エドワード・リンガーが昭和15年2月に病死するまでこの邸宅に住んだのでリンガー兄邸とも呼ばれています。
夜間にはライトアップも実施。
画像協力/(一社)長崎県観光連盟
グラバー園・旧オルト住宅 | |
名称 | グラバー園・旧オルト住宅/ぐらばーえん・きゅうおるとじゅうたく |
所在地 | 長崎県長崎市南山手町8-1 |
関連HP | グラバー園公式ホームページ |
電車・バスで | JR長崎駅から正覚寺下行き路面電車で5分、築町で乗り換え、石橋行きで3分、大浦天主堂下下車、徒歩7分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4.5kmで市営松が枝町第2駐車場 |
駐車場 | 市営松が枝町第2駐車場(94台/有料) |
問い合わせ | グラバー園管理事務所 TEL:095−822−8223/FAX:095−823−3359 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag