南有馬運動公園にある南島原市の施設が南島原市有馬キリシタン遺産記念館で、島原の乱(島原・天草一揆)で知られる国指定史跡で世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産でもある原城跡の発掘で出土した遺物を展示。島原の乱の犠牲者となった人骨の発掘状況のレプリカも展示されています。
原城跡探勝の前後に入館を!
永禄5年(1562年)、有馬義貞(ありまよしさだ)が貿易港として開港した南島原市南端の口之津港。
翌永禄6年(1563年)、イエズス会の宣教師ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)が来航してキリスト教の布教活動を開始。
永禄10年(1567年)に南蛮船が来航し、その後、口之津はキリスト教布教と南蛮貿易の中心地として繁栄します。
館内ではキリシタン大名・有馬晴信の居城となった日野江城跡、日野江城の支城で島原の乱(島原・天草一揆)の激戦地となった原城跡、そして日野江城下で信仰を支えた教育機関「有馬のセミナリヨ」、セミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれた天正遣欧使節(ローマへ派遣され、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見した伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名の少年)などを紹介し、南島原におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧、キリシタンの潜伏から復活など一連の歴史を学ぶことができます。
鉄砲玉の鉛を溶かして手づくりした十字架、ロザリオなどのキリシタン関連の出土品のほか、有馬領主時代の城郭に使われていたと推測される瓦、使用されていた陶磁器など興味深い展示が数多いのが特徴。
人骨の出土状況を示すレプリカは、本丸正門跡の石垣の下から発掘された成人男女や子どもの人骨。
一揆軍の遺体は、石垣から投げ捨てられ、その後に石垣が破却されたため、石垣下の発掘で多数の人骨が出土するのです。
出土した人骨から、百姓たちが家族単位で組織的に一揆に参加していたことがわかり、キリスト教弾圧に対する宗教戦争という側面だけでなく、農民一揆的な意味合いもあったことが明らかになっています。
原城本丸大手門跡、原城跡の竪穴建物跡群(島原・天草一揆軍籠城の建物跡)、国内で最大級の虎口遺構(平成12年の発掘調査で判明)などの発掘調査を通じて、原城は島原の乱以前に破却されていたという通説を覆し、乱後に徹底的に破壊されたことが判明しています。
取材協力/南島原市、南島原ガイドの会 有馬の郷
名称 | 南島原市有馬キリシタン遺産記念館/みなみしまばらしありまきりしたんいさんきねんかん |
所在地 | 長崎県南島原市南有馬町乙1395 |
関連HP | 南島原市有馬キリシタン遺産記念館公式ホームページ |
ドライブで | 長崎自動車道諫早ICから約50km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | TEL:0957-85-3217/FAX:0957-85-3217 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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