島原武家屋敷・鳥田邸

島原武家屋敷・鳥田邸

長崎県島原市下の丁、島原城の西に位置する島原武家屋敷のひとつが鳥田邸。深溝松平氏のルーツは、三河国深溝城(愛知県額田郡幸田町深溝)。のちに三河吉田城(現在の豊橋市)の城主となり、徳川家を支えていますが、鳥田家も深溝以来の家臣団のひとつ。

三河深溝城以来の家臣、鳥田家の屋敷

島原へは島原藩深溝松平家2代の松平忠房が寛文9年(1669年)、福知山から転封の際に従し、屋敷を構えました。
7石2人扶持を受け、下級武士ながら歴代地方代官、郡方物書などを勤め、幕末には材木奉行、宗門方加役、船津往来番などの重職に就いていました。
深溝松平氏のルーツ、愛知県幸田町のすぐ南、蒲郡市(旧三河国)に金平町鳥田という地(三ヶ根スカイラインの東の入口一帯)があるのでその出とも推測できます。

令和2年春には茅葺きの吹き替えが行なわれています。
屋敷の一部を公開中。

島原武家屋敷・鳥田邸
名称 島原武家屋敷・鳥田邸/しまばらぶけやしき・とりたてい
所在地 長崎県島原市下の丁1971-1
関連HP 島原市公式ホームページ
電車・バスで 島原鉄道島原駅から徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約40km
駐車場 武者屋敷駐車場(15台/無料)
問い合わせ 島原武家屋敷 TEL:0957-63-1087
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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