崇福寺・大雄宝殿

崇福寺・大雄宝殿

長崎県長崎市にある江戸時代初期に創建された唐寺のひとつ、崇福寺(そうふくじ)。慶長17年(1612年)の禁教令により、仏教寺院を菩提寺にすることが義務付けられたため、長崎在住の華僑(かきょう)も自らの寺を建立することに。福建省の華僑が創建した唐寺・崇福寺の本堂が大雄宝殿(だいゆうほうでん)で、国宝になっています。

堂内には本尊の釈迦如来坐像が祀られる

福州出身の華僑(在日唐人)が中心となって、福州から僧・超然を招き創建した崇福寺。
大雄とは釈迦のこと。
その大雄(釈迦)を本尊に祀る堂、つまりは本堂が大雄宝殿です。
唐商人で大檀越(おおだんおつ=大檀那) の何高材(がこうざい=黄檗宗の高僧・隠元禅師を日本に招致した中心メンバー)の寄進で、正保3年(1646年)に完成。

諸材は中国で切組み、数隻の唐船で長崎に運び、現地で組み立てています(国宝の第一峰門も同様)。
建立当初は単層の建物でしたが、寛文元年(1661年)、隠元隆琦(いんげんりゅうき)が京都・宇治に黄檗宗大本山萬福寺を開山し、萬福寺の大雄宝殿を模して延宝8年(1680年)に上層部分が増築されています。
下層の前廊部分の天井は黄檗天井と呼ばれるアーチ状になっています。
増築により下層は中国の建築様式であるのに対し、上層が和様を基調とする折衷様式になっています。
上層部の意匠は、同じ唐寺で福済寺(福建省の泉州と漳州出身の華僑が菩提寺とした寺)の大雄宝殿に似ていましたが、残念ながら福済寺の大雄宝殿は原爆で失われています。

大雄宝殿の堂内には本尊の釈迦如来坐像が祀られ、脇侍として釈迦の十大弟子の迦葉尊者(かしょうそんじゃ)と阿難尊者(あなんそんじゃ)の立像が配されています。
堂内の左右には黄檗宗であるため、十六羅漢に慶友尊者(けいゆうそんじゃ)と賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)を加えた十八羅漢像が安置され、順に参拝することができます。

名称 崇福寺・大雄宝殿/そうふくじ・だいゆうほうでん
所在地 長崎県長崎市鍛冶屋町7-5
関連HP 長崎市公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅からた正覚寺行き路面電車で12分、終点下車、徒歩3分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ TEL:095-823-2645
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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