壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)

壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)

長崎県壱岐市芦辺町国分本村にある古代寺院の跡が壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)。天平13年(741年)、聖武天皇の詔により鎮護国家を祈念する寺として諸国に建立された国分僧寺(こくぶんそうじ=金光明四天王護国之寺)のひとつで、現在は礎石が残るのみとなっています。

もともとは壱岐直の氏寺だった!?

壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)

諸国には国分寺と通称される金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)が配されましたが、西海道の壱岐国、対馬国には島分寺(とうぶんじ)が建立されています。

壱岐氏(壱岐島の古代豪族)・壱岐直(いきのあたい)の氏寺を8世紀後半に島分寺に転用したと推測され、平安時代後期、律令制の衰退とともに荒廃し、釈迦堂だけが残され、元文3年(1738年)に中野郷にあった阿弥陀堂と併合し、名を国分寺と改名し、南東に移りました。
壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)の南東に建つ護国山国分寺が、その後継寺院です。

東西600m、南北80mの壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)一帯は、壱岐国分寺跡として長崎県の史跡に指定。
発掘調査では平城宮が建てられた時に使われた瓦と同じ文様の複弁8弁蓮華文(ふくべんはちべんれんげもん)の軒丸瓦が見つかっています。

壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)近くに鎮座する國片主神社(くにかたぬしじんじゃ)は、壱岐直屋敷跡と伝えられています。
また、隣接して兵瀬古墳があります。

壱岐国の国府、国庁があったのは興神社(こうじんじゃ)付近ともいわれていますが、遺構は見つかっていません。

壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)
壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)
名称 壱岐国分寺跡(壱岐島分寺跡)/いきこくぶんじあと(いきとうぶんじあと)
所在地 長崎県壱岐市芦辺町国分本村触741
関連HP 壱岐市観光連盟公式ホームページ
ドライブで 芦辺港から約4km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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